ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5863,在宅医療の現実 〜こんなはずじゃなかった
  * こんなはずじゃなかった〜医師・早川一光
多くの死を見送り、在宅医療を患者の立場になって推し進めてきた老医師が、
いざ自ら癌になり、在宅医療の患者になった時、出てきた言葉だからこそ重い。
去年、近くの従兄が亡くなったが、家人の挨拶で、『最期の入院をした時に、
家で死にたいと強く言われたが、出来なかったのが心残り!』と語っていた。
 しかし、在宅医療にも限界がある上に、死を目の前にした恐怖と苦痛緩和
のための設備は、病院の方が良い。その判断は本人より、医師に委ねられても?
その難しい問いかけを、真正面から取り上げている。
♦ まずは、京都新聞で2016年1月から週に1度連載された、早川一光さんの
 聞き書き「こんなはずじゃなかった」より。 (2016年5月26日放送)
≪ 地域医療のパイオニアとして知られ、NHK連続ドラマのモデルにも
 なった老医師が、がんになりました。自宅で、自らが作り上げた手厚い
在宅医療、在宅介護に支えられながら、医師は、「こんなはずじゃなかった」
と語り、それを名にした新聞連載を始めました。医師の名は、早川一光、92歳。
 戦後、京都市西陣で住民立の堀川病院を作り、「在宅医療」という言葉も制度
もなかった時期に積極的に地域に出る活動を展開。「西陣の路地は病院の廊下や」
を合言葉に、病院を出ても安心して医療を受けられる体制を整えました。
「わらじ医者」の愛称で親しまれる老医師が、自ら患者になり、死を見つめた時、
現在の医療や介護について何を感じ、何を伝えようとしているのでしょうか?
「こんなはずじゃなかった」とは何を指しているのか?
 番組は、自宅のリビングに置かれたベッドで一日の大半を過ごしつつ発信を
続ける早川医師の暮らしを描き、未来に向けたメッセージを聞き取ります。≫
♦ 次は、NHKスペシャルのHPより
≪ 医師 早川一光さん 人生のしめくくりを支える“在宅医療”の草分け
 3年前から自宅で療養生活に 口から出たのは「こんなはずじゃなかった」
自らの死を見つめる医師 医療の未来に向けたメッセージ。
 ただ命を長くするだけで人は幸せになるだろうか?
1950年 京都 西陣の人がお金を出し合って作った診療所。所長は当時26歳の
早川一光さん 。目指したのは「在宅医療」と「訪問看護」精力的に続けた
活動はやがて国の制度に取り入れられた。早川さんはいま93歳
「俺は何をしてきたんやろう。今が天国かと思うと、かえって地獄じゃないか」
「早川先生が死ぬのを怖がってる姿はものすごく意味があると思います」
と看取りを託す根津医師。
「人を看取る時、医師にはなにができるのか?」と、ベッドの中から問い続ける
現在、自宅で亡くなる人の割合は全国で1割ほど。
【心に残った言葉は?】に、 「生きて、生きて、生きとってや。

▼ そう遠くない近い将来、私にも間違いなく直面する問題。
「出来ることなら 自宅で」という思いは誰にでもあるのだろうが… 
この番組を見て、これでキッパリ、病院で死ぬと思い定めることが出来た。 
その後は、早川医師、持ち直し?現在も御存命のようだ。 当人と在宅医療
医師、そして老妻と語る言葉の一言一言が非常に重く響いてくる。 老いれば
老いるほど、心の奥から沸き上がってくる「こんなはずじゃなかった」の思い。
「私の人生、こんなものか」なら、まだしも。 特に私には? いや、万人か!

・・・・・・
5498,閑話小題 〜『男って、定年になったらいらないのよね!』〜@
2016年04月04日(月)
           『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
   * 産業廃棄物の末路
 第二の人生の準備のない人の末路は哀れである。
この言葉は、著者の淳一が、老後の生き方の講演で、聞こえてきた言葉。
リタイア後、邪魔者扱いされている団塊世代の夫に対する、奥方の、
『男って、定年になったらいらないのよね!』が、耳に聞こえてくるようだ。
私自身が、その一人だからこそ身にしみる。ただ、少し離れた仏間に、書斎・

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04月04日(火)
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