ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5797,「自分」から自由になる沈黙入門 −5
         <「自分」から自由になる沈黙入門〜小池龍之介(著) >
  * ヨクボウを客観視し、撃退する
 ヨクボウを撃退するのを良しとするのも問題あり。それを馬に例えて、
乗りこなして、目的地に到達すればよい。ヨクボウを飼いならせば、これほど
便利で面白いことはない。それこそ、「自分」から自由になる方法である。
著者が僧侶のため、ヨクボウを客観視し「自分」を突き放す必要もあろうが…
  〜その辺りから
≪ ヨクボーは人を駆り立てて、むくつけき粗暴な雰囲気へと染めていきます。
 のみならず、ヨクボーは、使うと減るどころか、潜在意識の中で増殖するので
あります。使うと増えちゃうのが、業(カルマ)の特徴なればなり。
 その恐るべきヨクボーをシラケさせてしまうためには、自分の中に棲み着いて
いるヨクボーをまじまじと観察してあげることが大切なり。自分が何かしようと
しているのを、他人がじろじろ観察していたら恥ずかしくなったり、シラケたり
して、やりたくなくなるもの。ヨクボーもそれに似て、他人事のように自分の心
をじろじろ眺め、ヨクボーに駆られている自分の心に「あ、恥ずかしい」と感じ
させてしまえばよし、他言せば、視姦さるることによりてヨクボーは恥じ入り、
シラケてゆく。
 この、自分を他人事のように眺めてみることで、感情が客観視されて落ち着く、
というプロセスをさらに効果的につくりあげたのが仏道の方法なのであります。
その技法を仏道では「念」を入れるとか、「念じる」とぞ申す。
「念」のやり方自体はきわめて単純。ヨクボーをはじめとする好ましからざる
気持ちが湧き出てきたる瞬間に、自分の中を観察し「あ、ヨクボーが生まれた」
と意識を集中してあげますならば、摩訶不思議にヨクボーはなりをひそめるもの
なのであります。 簡単ヨクボー撃退法。
 仏道の心理分析の立場から見ますなら、ヨクボーや他の様々な感情に流され
翻弄されるのは、実は、人がその感情にちゃんと意識的、自覚的でないときだけ。
「自分は怒ってる、怒ってる、怒ってる」と意識しながら、怒って人を殴れる
ような人はいませぬし、「私はヨクボーに流されてる、流されてる」と意識を
集中しながらヨクボーに流される人はいないもの。申さば、感情への集中力
あるいは観察力を養っていないから、感情は恥ずかしげもなく猛威をふるう
ものと存じ候ふ。(本文より)≫
▼ リタイアをしてから、沈黙が多くなっている。ここですき放題書いている
 ため、私の場合は、沈黙とは言わないか。それにしても、怒り心頭の場面が
 多いが、これもか返り矢でしかない。「元はこちら、そのまま結構」。
 <達磨さん ちょいとこちむけ世の中は 月花雪に酒に女だ>も 道理。

・・・・・・
5431,人生で最も大切な技術 ーJ 〜苦しみを最大限に利用する
2016年01月28日(木)
        『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 苦しみを最大限に利用する
 死の究極の姿勢、「苦しみを最大限に利用する」には驚いた。
父がガン最期の頃、苦痛で頭を掻き毟っていた姿が目に焼きついている。 
ところが、精神医がその中にあって、苦痛を利用して、心の解放を図る試み
をしていたとは、さすである・・ その時に、私に出来るだろうか?
≪ 次の文は、数カ月のあいだ激痛に苦しみ、死の床についていた
  カナダの精神科医、ガイ・コルノーの書き残した書の引用である。
【「もういい。行かせてくれ」と眩いた。まったく和らぐことのない激痛
 との戦いを止めにして、誰にでも来る静寂に心を向けた。
心を解放させる効果は、その後数日から数週の間にはっきりしてきた。
私は、無上の幸福感に突き進んでいったのである。巨大な愛の炎が自分の中で
燃え盛った。目を閉じるだけでーそれは長く満ち足りた一呼吸だったが、幸福
を享受することができた。続いて、人間一人一人、事象一つ一つで成り立つ
この宇宙に普遍的なアイデンティティがあり、それは愛そのものであることを

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01月28日(土)
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