ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5795,「自分」から自由になる沈黙入門 −3
<「自分」から自由になる沈黙入門〜小池龍之介(著) >
* 3つの煩悩、5つの欲望
今さらの話だが、人間には心の迷いがある。これを仏教では「煩悩」という。
百八煩悩というくらいに、人の心は色いろな道に迷う。なかでも、最も人の心を
毒す代表的な煩悩が3つ。 「貪欲」「瞋恚(しんに)」「愚痴」、略して
「貪(とん)」「瞋(じん)」「痴(ち)」といい、これを三毒という。
「貪欲」は、むさぼりの心であり、自分だけ利益を得ようとする強欲な心。
「瞋恚」は怒りの心。愚痴は迷いの心である。 また人間の欲には五つある。
食欲、睡眠欲、性欲という本能的欲望のほかに、財欲、名誉欲の五欲である。
これらを正す修行、八正道がある。
まずは、このブログが、まさに「貧・瞋・痴」そのもの。それなら隠せば
良いものを、わざわざ書き連ねる品性の悪さが垣間見られる。それでも自覚
しているだけマシだが… いや、自覚なしか。考えるとは、前提を疑うこと。
ということは仏道とは矛盾することが多くなる。矮小のプライドがなす心の
歪みが俯瞰でき我ながら滑稽。 著者は、矮小なプライドの奴隷に縛られた
自分からの家出の勧めを平易に説き、その為の「沈黙」業を勧めている。
老いて「「貧・瞋・痴」の奴隷化をした人は、何処にも見られ、痴呆化の
バロメーターにもなる。他人様の中のそれには気づくが、自分のは無頓着。
書きだすとは、自分を曝け出すことで、自分を習うことになっている。
再び偶然だが、去年の以下の脈絡として続く。<自分の苦悩からの自由>…
・・・・・・
5429,人生で最も大切な技術 ーI 苦悩と不幸の違い
2016年01月26日(火)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
* 苦しみと不幸の違い
ことにあたった時、〔幸福の状態とは、ポジティブ3に、ネガティブ1〕
と、自問自答すると、嫌な気分が早々に消えていく。良いことが続いたら、
〔今に、マイナスが起こるだろうが、敢えて受けとめる〕と、有頂天に
ならないよう気をつけてはいたが、これが難しい! で、この様。人生を
俯瞰すると、どん底の時節に素晴らしいことが集中していた。 苦しみ、
不幸には、安楽がソッと傍に控えて支えてくれている。当人は、それに
気づく心の余裕がないためだが、辛いときは心底、辛い!〜その辺りから〜
≪ 幸福と快楽の違いを考えたところで、心身の苦痛や苦難と不幸を区別
する必要がある。 苦難は外から被るもので、不幸は自らが作りだす。
サンスクリット語にドウッカという言葉がある。これはスカの反語で、
定義は、「不快な感覚だけに留まらず、究極的に厭世観にながる苦しみ、
痛みに対する基本的な脆さ、生きることが無意味で価値がない状態」と
なっている。 サルトルは著書『嘔吐』の主人公にこう言わせている。
【 もしも存在とはなんであるかと問われたならば、私は誠意をもって、
まったく無意味なもの、空虚な入れ物である、と答えたであろう。
私たちは自分自身に当惑し気詰まりな存在の群れであって、誰も彼も、
そこにいることの理由を少しも持たなかった。それぞれ存在するものは、
当惑し、なんとなく不安で、互いに他のものとの関係において余計なもの
である、ということを感じていた… ところでこの私もまた余計なもの
だった …これら余計な存在の少なくともひとつを消滅させるために、
自分を抹殺することを漠然と思い描いてみた。 】
自分がこの世から居なくなった方がいい、と信じることが自殺者に共通する
動機である。苦しみ(苦難)は、無数の原因によって生じる。中には自分の力で
何とかできるものもあれば、まったく無力のこともある。身体障害者として
生れたり、病に侵されたり、愛する者を失ったり、戦争や天災に巻き込まれる、
等の苦しみは不可抗力である。それに引きかえ不幸はまったく違う。
なぜなら、不幸は、外的な条件によって生じる身体的、道徳的な苦痛と
関連するとはいえ、本質的な関係はない。
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01月26日(木)
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