ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5687,平面思考と球面思考
<「20歳からの人生の考え方」外山滋比古著>
* 平面思考と球面思考
41年前から長岡駅裏に住んでいる。そのうち5年前まの31年間は新潟駅前の
事業のため、新幹線通勤で二つの市を跨いだ生活をしてきた。地方暮しでは、
丁度良い職住分離になっていた。 それが今では城下町での肩身が狭い日々。
新幹線は、大河の急流に例えられる別世界。それが長岡だけの住居の生活は、
球面から平面的になった感覚にある。その対策として、毎日、早朝の信濃川の
2つの大橋を一周する一時間のポタリングと、2時間のスポーツジムの運動と、
週一回の映画館通いと、年一回の旅行を入れているが、年齢もあってか、
その世界の狭さが息苦しい。 苔ならまだしも、垢・錆の問題が切実。
≪ イギリスのコトワザに"A rolling stone gathers on moss."
ロックバンド「ローリングストーンズ」の由来となった言葉です。
「ころがる石は苔を付けない」
これは、背景として、苔は美しいモノという考えがあるから、
転職や引っ越しを繰り返しすぎると、ロクなものにならない、という意味。
これはイギリス人にとっては常識で、わざわざことわざの意味は考えない。
戦後アメリカ人が日本にやってきた時、英語に詳しい日本人が、それまで
知っていた意味と違う事に気付き、驚いた。アメリカでは、逆に優秀な人は、
いつも活動的で、変なものが付着しない。同じ所にじっとしていると、
苔つまり垢や錆が付く、という意味である。
日本では「所変われば品変わる」ということで、辞書には両方の意味が併記
されている。英国人も米国人も、平面思考をとっている。自分たちが考えている
ことが正しい。それ以外は間違いという立場を無意識にとっている。
自分たちの考えに合わないのは、間違いとしてかたずける。
日本人は、意識はしてないが、球面思考の立場をとっている。
ところ変われば品変わるで、同じ言葉が全く違った意味を持つことを容認する。
それが球面思考である。
人類は比較的小さなところに定住していた。遠くのことはよく分からない
から平面思考で生きてきた。地球は平板でなく立体であることは何百年前にも
発見されたが、ひとりひとりの生活では、依然として、土地は平板と信じて
きたのである。大西洋アトランティックの向こうは断崖、絶壁になっていると、
中世の人は信じていた。世界は地球で丸いということを感覚的、実感的に
とらえるのは容易でない。その点、日本人は西欧より早く、平面思考から
解放される可能性を持っている。≫
▼ 二つの市を跨ぐことで、何とか、平面思考に陥らないよう過ごしてきた。
しかし、条件(原因)が平面になれば、平面思考になって当然だが、今さら
生き方を変えられない。とはいえリタイアの身。球面思考も、平面思考も、
大して変わりはしない。ヘドロ化対策は、ソリストに徹するしかないが。
・・・・・・
5322,閑話小題 ー5年前に、10年の余生と想定して
2015年10月10日(土)
* 老いの恐ろしさ
数日前のポタリングの帰路、信号が赤に変わったのに、ボ〜ッとして何か
勘違いしたのか、そのまま車道に進入をしてしまった。何で車が向かって
走ってくるのだろう?としか、考えられないとは。 直後に気づいたため、
事なきだったが、これまで二度、車で赤信号に気づかず、そのままつき切った
ことがあったが、二日酔いと、旅先で疲れが原因だった。今回は老いだろうか。
魔が差し事故にあうときとは、こんなもの。
70歳以上の免許書換え前の講習会で、「交通事故の当事者は3分2が65歳
以上の高齢者。老いによる注意緩慢が原因です。」と聞かされた。
毎朝一時間、冬期を除き年に8ヶ月、6年以上走ってきたが、来年春先から、、
週末の二日間に切り替えるべきか。
* 5年前に、あと10年の余生と想定して
65歳の節目で、あと10年の75歳辺りが寿命と、気楽に考え5年近く。
間もなく半分が経過する。10年前は一昔に感じるが、5年はアッという間。
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