ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5585,お別れの作法 〜②
<「あの世」と「この世」をつなぐ お別れの作法 >矢作直樹(著)
* 千里眼の不思議
ネットの進化につれて、何故か、「千里眼」とか、テレパシーへの興味が
薄れてしまった。デジカメで撮った写真をネットでやりとりが、千里眼より
遥かな能力を持つことになった。しかし、面白いのは面白い! 進化と退化の
プロセスで多くの能力を持ち、かつ失われてきた。 〜その辺りを抜粋〜
≪日本で最初にシェクスピア全集の完訳をおこなった英文学者で、後に日本の
近代スピリチュアリズム研究者の先駆けとなった浅野和三郎(1874-1937)は、
海軍機関学校の教師をしていた時、西洋医学で治らなかった三男の熱性疾患が、
女性祈祷師の予告通り治ったことから、心霊の世界に興味を持ち始め、やがて
教祖、出口ナオの「お筆先」と呼ばれる自動書記の内容を知りたいという
動機から大本教に入信しました。そして、1916年大本に接近してきた秋山真之
(日露戦争時の連合艦隊作戦担当参謀)と知遇を得、秋山は浅野に密かに、
日露戦争日本海海戦にまつわる秋山自身の千里眼体験を語ったのです。
<1905年5月下旬、鎮海湾の日本連合艦隊は、バシー海峡を通過したロシア・
バルチック艦隊がウラジオストックに入る航路として、対馬海峡なのか、
太平洋から津軽海峡を通過するのか、の判断に神経をすり減らしていました。
秋山は、連日連夜、頭を絞って疲労困憊の極致にありました。そして24日の夜、
士官室で横になって考えを巡していた秋山が、つい、うとうととしかけた瞬間、
突然眼前に、対馬海峡を二列になって北上して来るバルチック艦隊の様子が見え
ました。これは天啓だと直感して、直ぐに驚くほど緻密な「七段構えの戦法」
の計画を練り上げたのです。27日未明、まさに先の千里眼による情景と寸分
違わない隊形でバルチック艦隊がやって来ました。ここに日本の勝利が巡って
来ました。>
覚醒状態からすぐに睡眠に入らない場合の中間的状態は、体外離脱しやすく、
思念が強いと瞬時にその場に移動出来るとされていて、秋山の場合もまさに、
これに当てはまるかと思います。こうした現象を経験すると、その方面の知識
がないばかりに怖がる方も多いと思いますが、怖いものではありません。≫
▼ 父親が亡くなった直後、魂の継承みたいな不思議な現象を何度か経験した。
10年の間、体外離脱とか、シンクロニシティ=「意味のある偶然の一致」、
「共時性」が、あまりに多く起こっていた。それも、現在では、少なくなった。
現在では、それが、怒りの対象本人か、連れ合いの不幸の招来という「共時性」
で残っているような? その研究が、ユングによって取上げられている。
日露戦争日本海海戦に、秋山自身の千里眼体験が勝利を導いていたとは驚き。
・・・・・・
2015年06月30日(火)
5220,「エリック・ホッファー自伝」 〜①
「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
* すべてを読書と思索に明け暮れた「沖仲仕の哲学者」
10年前に購入して流し読みをしたまま、本棚に眠っていた本。
流し読みなど著者に失礼と思わせる内容。いずれの場面も、臨場感があり、
ホッファーの、その時々の世界に引きこまれる。〜アマゾンの商品説明より〜
《「生きる」ことに真摯であるということは、これほどまで波乱に満ちた人生
を送るということなのか。本書は、数奇な運命をたどりつつ独自の思想を築き
あげた哲学者エリック・ホッファーの自伝である。
7歳で失明、15歳で突然視力を回復。18歳の時に天涯孤独となり、28歳で自殺未遂。
「私は死ななかった。だがその日曜日、労働者は死に、放浪者が誕生したのである」
という彼は、10年に及ぶ放浪生活へ踏み出し、数々の出会いと別れを選びながら、
劇的な生涯を送ることになる。
トマトの収穫、ホップ摘み、砂金発掘などの季節労働。そのかたわらで、
化学、数学、鉱物学などあらゆる学問にまい進し、読書と思索を重ねていく日々。
そんなある日、彼は町のレストランで大学教授と出会い、これを機にドイツ語
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06月30日(木)
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