ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5584,60歳までに、人生を前倒しをしていて!
 70歳を過ぎた現在、「60歳までに人生を前倒しをしていて良かった!」と、
つくづくと思うことしばしば。以下にコピーしたの13年前の文章を読返すと、
1年後に中越地震、その3年後に刈羽柏崎沖地震、4年後の2008年に、リーマン
ショック、更に8年後に東北大震災が、たて続いた。その結果、私も、まさかの
事業整理に至った。 作家の曽野綾子が、「人生の良いところは、60歳まで」
といっていたが、体力も考慮すると、成るほど正しいと実感する。 
 以下の内容を書いて13年間、友人、知人、親族が次々と倒れ、亡くなった。
病に倒れて発する共通の言葉は、「まさか、自分が! これから、ノンビリ
するつもりだったのに!」である。 死に直面した時の恐ろしさと動揺は、
「人生に、やり残した無念」があると増幅する。 とすると、老後の残務整理は、
それを探し、潰していくこと。そうこう考えると、【して失敗した後悔より、
しなかった後悔の方が遥かに大きい】ことになる。  一般的に、
「してしまった後悔1に対して、しなかった後悔が3」ではないか。どうだろう?
 30年分を10年に圧縮して生きた50歳代は、充実感があって実に面白かった。
60歳代の最大のイベントが、会社整理だったが、3・11もあって、未練も後悔も、
最小になっていた。両親の晩年に同居していたこともあって、「その都度、
計画的に楽しんでおくべし」という、人生の何たるかを、後姿から学んでいた。
この教えを学んで実行していたのは大きい。10年前と、13年前に書いてある
文章を読返してみると、計画通りに、遊び、楽しむ必要性を知っていた。
その時々に、真面目?に学び、楽しみ、遊んでおけ、ということ。
 辛いことも多かったが・・ それも楽しみの内。
――――
2003/06/16
50歳の頃ー1
  −60歳までの人生
 曽野綾子の本で『人生の良いところは60歳まで』という文章があった。
丁度私が50歳の時であった。50歳で、母親を見送り(亡くなり)人生の
損益分岐点を超えたという思いがあった。あとの人生を如何生きようかという
自分への問いかけをしていた。その翌年、下の子供と家内と3人で南米の
ギアナ高地に出かけた。テーブル・マウンテンのキャンプ場で、夕陽を見ながら
息子と日本酒を飲みながらふと思った、「自分の人生の元は充分にとった」と。
 その時に考えたのは、
「曽野綾子の『人生60歳までがよいところ』なら、それ以降の人生を60歳
までに詰め込んで生きよう!『人生の純益』を60歳までにとってしまおう」と。
・海外旅行をそれまでに50回行くことー不景気で無理か?
・人の目を気にしない生き方を更に徹しよう
・好きな事を可能な限りしよう 等、生き方を変えようと。
しかし曽野綾子は60歳少し前の文章である。
その時、母の行き方を見ていたこともあり、まだ解っていないと思っていた。
本当に良いのは60歳からというのを母から教わっていたが、しかし
「60歳以降の前倒しにする決心』は良いと解釈した。 
 その翌年にネパールに行ったとき、67歳の初老の人から人生の秘訣を
教えてもらった。「私は43歳までに必ず死ぬ家系であった。それを前提にし、
そこまでに人生のすべてを燃焼し尽くした。その一つに日本を全てを家内と
娘と3人で回り尽くした。しかし死ななかった。その後は世界にチャレンジを
始めて、ほぼ全てをまわり尽して現在もこうして生きている。短命の家系の
前提がなかったら人生をここまで味わいつくせなかった!」。 深い人生の示唆
であった。「60歳までに人生の全ての前倒し」を自分の生き方に取り入れた
直後であったから、尚のこと心に響いた。あと2年半で、その60歳である。
「それでは60歳以降如何いう生き方をするのか?」。
元を取ってしまったので、逆にあとは一日一日をじっくりと味わって生きる
ことができるのではないだろうか。そして、それまで経験をしたことのない
分野を探し出しチャレンジすることである。その意味では、逆に広い世界に
飛び出せるのではないかと考えている。

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06月29日(水)
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