ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5552,閑話小題 〜反省すれども、後悔せず

   * 反省すれども、後悔せず  (源信 往生要集)
 何ごとも、実際にやってみないと判らないし、思いどうりにならない。
だから、その結果に振り回されない様に生きるしかない。反省は経験から得る
ことが出来るが、後悔は変えることが出来ないため、割り切るしかない。
 反省とは、起きたことに対して今後に生かせる点を経験として取り入れて、
同じ失敗をしないようにすることで、それは今に生かせる。
 後悔は、起きてしまったことに対して、別の判断をしていれば別の結果が
得られたと思い悩むこと。変えられないことを思い続けることには意味がない。
思い悩んでいる人に、「その過去に立ちもどって、起こる前の時点に戻し、
あなたの思い通りの今を作り直せるなら、過去に戻りますか?」 
これにイエスと答えられるか? 「過去さえ変えられたらうまくいく」という
強い思いは、これから先に対して、確信など持っていないことになる。
その時点で、考えられるだけ考えていれば、失敗をしても、限界まで努力を
したのだからと割り切れる。何事も最善を尽くし、極限まで、努力をすれば、
不安も最小になる。 後悔は、その地点の、器の小ささ、自己能力の査定の
足りなさの結果に対しての思い。これは、「今の自分は、そのままでは受け
入れられない」と同じことになる。 
 吉川英治が、武蔵に、<われ事において後悔せず>と言わせた。後悔する
なら、初めからしないことだ。命がけでぶつかれば、後悔も反省も無くなる。
 <自分の人生、今さら後悔もあるまい、ご覧のとおり、そのまま結構>
と、割切りざるを得ないと、いうこと。タメ息の「あ〜あ」の「あ〜」は、
諦念の意味という。 で、「あ〜あ!」  何度、口にしただろう。

・・・・・・
5187,世間の捨て方 ー②
2015年05月28日(木)
               『世間の捨て方』ひろさちや著
   * 「がんばればよくなる!」の馬鹿馬鹿しさ
 〜二つの愚問、「生きがいとは何か」「どうすれば幸せになれるのか」〜
この二つの愚問?を真面目に自問自答してきたが、これこそ、「世間の奴隷」
が発する問いかけ、という。「生きがいは、がんばれば出てくる」も似たもの?
我々は「幸せでなければならない」という考え方が、そもそもオカシイとは、
面白い切口である。   〜以下が、考えさせられる (P36)〜
≪ 「永遠のものなどない」が仏教の基本的な考え方です。仏教では、この世
 のすべては常に変化していると考え、どんな世の中も滅びるのは当たり前。
「日本は滅びない」と考えるほうが不自然なんです。『平家物語』の冒頭に
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とありますが、この「諸行無常」
ということばに、仏教の考え方が端的に表現されています。
「すべてのものは常ではない」、つまり「あらゆるものは永遠の存在ではあり
えない」ということを述べているわけです。「永遠の存在がないとしたら、
この世の中は何なんだ?」と誰もが疑問に思うでしょう。そんな疑問に対して、
聖徳太子は「世間虚仮、唯仏是真」と述べています。「世間虚仮」の「虚仮」
というのは、字を見て分かる通り、「虚ろであり仮のもの」という意味。
「おれをコケにしやがって」という、あのコケの語源です。早い話が、わたし
たちが生きている世間は「嘘偽り」だというわけです。そして、「唯仏是真」は、
ただ仏だけがまことであるという意味。これが仏教の基本線ですむ世間が虚仮
であるならば、世の中をよくしようなんて、思わないことが大切です。
 ・・「いい世の中にしよう」なんて、仏教の教えに反する行為です。
世間は嘘偽りなんですから、それを良くしようなんて思わないことです。
『法華経』というお経では、この世の中は「火宅」であると記されています。
私たちの住んでいる全世界は火事になっているという。燃えているんだから、
さっさと逃げ出しなさいと『法華経』は教えているんです。「世の中を良く
したい」という人にしてみれば「火宅だったら、それを消してやろう」という

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05月28日(土)
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