ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5543,閑話小題 〜お金に窮したことは一度もなかった
* そういえば、お金に窮したことは一度もなかった!
〜お金についての考えは人生に対する考えと同じ〜
用心深い性格もあるが、事業人生の中で、お金に窮したことは一度もない。
両親、特に父親は、お金に対して厳しい人で、見栄や、無駄金、死に金、
小銭の扱いに常に目を光らせていた。普段の生活は徹して節約をし、外食や、
ブランド物趣味には、極端に厳しい姿勢であった。しかし、書籍の購入には、
一切、何もいうことがなかった。
学生時代、上京をして寮に住んでいた時の仕送りも、ギリギリの生活費しか
送ってくれなかったが、ヒモジイ思いをすることが無かったのは、節約が
身に付いていたため。当時の学生時代は、家庭環境に関係なく、殆どの人が、
似たようなギリギリの送金。カナダの学生は、それが首相の子供であっても、
アルバイトで生活費を稼ぐのが暗黙の習性という。
その節約も、21歳の「欧州一周旅行」で、全てパーに。
「使ってこそお金の価値が現出する」と信じるようになっていた。
父が、末期ガンで死期を悟った時に、身近で実感したことは、「お金は、持って
旅たつことが出来ないこと」。 結婚直後からは、「稼いだときに、1〜2割を
別立てをして、残りは、使い切る」と、方針を変えた。それもあって、より遊ん
でおけば良かった、という後悔はない。死んだ瞬間、お金は一切、必要なくなる。
また、お金が無くて呆然とした経験が一度も無かったことが良いのかどうか。
健康面を除いた娑婆の苦しみの中で、「金の不自由」が、一番、辛いという。
現在、家内名義の家では少し肩の狭い思いをしているが・・
他人事ではないが、一般的に、熾烈な事業の中で、万一の場合の用心深さが
あまりに無さ過ぎるのではと思うのは、老いのなせる業か。
<お金について> を書くと、あまりにシリアスになるが、なればこそ、
自分を見つめる合せ鏡になる。そこには、欲が、そのまま露出している。
それは健康に対していえることだが、70歳を過ぎたから、死を従容と
受け入れたいものだが、現実となると?
―――
面白いもので、偶然だが,9年前に「お金」について書いてあった。
・・・・・・
2237, お金の正体 −1
2007年05月19日(土)
「お金の正体」 ー日下公人著
(((。・-・)从(・-・。)・゜
「生・死」と「金」の話題は尽きることは無い。
特に「金」に関してはもういいや!と思うが、それでも次々面白い道理に出あう。
しかし、どれを読んでも面白いのは、金が欲の集約でもあるからである。
この本を図書館で手に取ったときは、あまり内容のない本に思えたが、
実際読んでみると、面白い本である。
「お金の正体」はつきつめると
「その人が求めている幸せは何ですか?」ということになる。
幸せとは何ですか?は、これも単純で解りきったように思えるが、実は深い問題である。
私が好きな「幸せはアルコールのようなもの」とか、軽く扱われない大きな問題である。
以前にも何度か書いてきたことたが、
父が死を覚悟した時にジッと私の顔をみて、数千万円の数字を紙に書いて
「この数字と銀行預金の同じ数字と何処が違うのだ?」
と深刻な顔をして私に問いかけた。
「事業という楽しみの後に残ったカスがお金である!」が父の口ぐせだったが、
それでは、そのカスも紙に書いた数字でしかないことに気づいたのだ。
「実際に使えないなら現状なら、無いに等しい」といいう言葉を加えた。
しかし両親は、そのカスを更に楽しんで使っていた。
それ以上を求めること自体は、少し求めすぎのように思えたが、
それでも逝く直前に割り切れない何かが心が残った。
その時、何かを伝授してもらった。
「仕事を遊びまで高めること、そして、そのカスとしてのお金を、
仕事とは別の趣味を見つけ楽しむこと。それも楽しんだら、
大らかな気持ちで余韻を楽しむこと」である。
金を哲学的に考察すると、交換手段としてのルール(価値尺度)でしかない。
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05月19日(木)
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