ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383157hit]

■5542,閑話小題 〜夢にみる深い闇 
   * 夢にみる深い心の闇 
 一昨夜半、虚無的な恐ろしい夢をみた。5年前に遡った新潟駅周辺で、
誰も居なくなってしまった白い空間の中、呆然と立ち尽くして、
『さて、どうしようか?如何したらよいか?』と思案をしている。その直後、
『何で今さら、如何しなければならないのか?今さらどうもしなくてもよい
のに、何をしている?『これ、もしかして夢?』というところで目が覚めた。
当時の時点では、無我夢中で、板一枚の舟下の虚無を垣間見る余裕さえ
無かったのが、現在に至って当時の押隠した不安心理が表出している夢。
それだけ心に余裕?が出てきたか、心の闇は複雑かつ深淵である。
 ――
   * ヨガに88歳が!
 先日、ヨガ・エアロの参加の行列に並んでいると、「いつも、ヨガの先生
の前に座っている人が昭和三年生まれだってさ」という囁きが聞こえてきた。
そこで、改めて見ると、そこに70歳後半?の女性がいた。が、まさか88歳とは
驚いた。 老いには、ヨガは良いことは実感するが、気持ちの若いのが第一。
老いるほど、長年の節制の差が出てくる。気力、体力、社会的条件が揃って、
元気なのだろう。 気持ちが老け込み始めた昨今、まず気持ちの持ちようと、
75歳を寿命の目安にしていたが、80歳に引上げることにした。
 ――
   * 老いの近景    (*´ェ`*)
「きょうだい」6人の生存平均年齢が77歳。連れ合いを入れた12人の中で、
3人の4分の1が亡くなっている。 先日の母方の実家の従兄弟の「49日法要」
に集まった平均年齢が70歳前半。 去年の暮れに、既に亡くなった一番上の
姉の連れあいが86歳で、49日法要の従兄弟は75歳で亡くなった。 日々、
わが身に近づいてきた実感がする。一日でも健康で長生きしたいが、死ぬまで
は生きている。古希をこえれば、チョッと前か、チョッと後の話。生きてきた、
ように、そのまま人は死んでいく。身近な死を目の当たりにすると、少しでも
後がよいと思うが・・ で、これまた丁度よく、以下へと、物語がつづく!
 
・・・・・・
5177,閑話小題 〜ミニマリズム
2015年05月18日(月)
   * あなたの中で何をしているのですか
 イタリア作家のタブッキの、『インド夜想曲』の中で、その「僕」は、
ピントという名前のポルトガル人を探して旅をしているらしい。ポンペイ、
マドラス、ゴアへ。 その中の一文が印象に残った。
≪「漂泊の旅」などといいうが、旅の無意識の目的とは、今までの自分を失くし、
 新しい自分に出会うことなのかもしれない。・・ 深夜の駅で、「僕」と死を
目前にした、「インド人の紳士」が、どこかぎくしゃくとした会話を交わす。
「この肉体の中で、われわれはいったいなにをしてるのですか」
「これに入って旅をしてるのではないでしょうか」
「なんて言われました?」 「肉体のことです」と僕はいった。
「鞄みたいなものではないでしょうか。われわれは自分で自分を運んでいる
 といった」 みずからの影に運ばれるわたしは黒いケースにおさまった
ヴァイオリンそのもの。≫
▼ 死を悟り、「この肉体を与えられ、それを使って、この人生で何をして
 きたのだろう?」と思うとき、「あ〜長い旅をしてきた! しかし、一瞬
だった気がする!」」と思うのだろう。「私たちは地球上に、一回限りの
70〜80年(平均)の旅行にきている」のである。そこで、互いに首輪の
紐を引っぱりあい、世界を見ようとしない人たちを、『世間びと』ともいう。
 で、以下のミニマリズムに繋がっていく。
   * ミニマリズム
 最近、「ミニマリズム」なる言葉を知った。 その意味とは、
<最小限主義で、無駄をそぎ落として最も重要なことにフォーカスること。>
 人生の夕暮時に入り、ミニマリズムを本格的に取り組まなくてはならない
時節ということ。 母親を看送った51歳の節目に、人生のギアを入替えた。
そのコンセプトが、
「還暦までの9年間に、80歳までの30年分を10年に圧縮して生きる」と、

[5]続きを読む

05月18日(水)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る