ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5494,人生 〜何のために生きるのか ―池田晶子の言葉 〜②
   『幸福に死ぬための哲学 ―池田晶子の言葉 ー』池田 晶子(著),
                
  〈 人生、何のために生きる? 〉
* わからないのは当たり前    ☆ は、私の感想
≪ そもそも私たちは、自分の決断で生まれたわけではなく、自分の決断で
 死ぬのでもない。生まれて死ぬという、人生のこの根本的な事態において、
私たちの意志は全然関与していない。 気がついたら、どういうわけだか、
こういう事態にさらされていたわけです。このことの不思議に思い至れば、
人間が自分の人生について、自分のことか意志で決断してどうのこうのという
ことが、いかに小賢しいことであるかにも気がつくでしょう。
人間が自分の意志でできることなんか、たかが知れている。
人生は自分の意志を超えているのです。≫     『死とは何か』
 ☆ 人の心は、その意志あればこそ。「たかが意志、されど意志!」
 「最善を尽くして、後は神の意志に任せる」しかないが、最善を尽くさない
限り、神の意志は働かない。 問題は、その問いを発し続けるかどうか。
――
  * 信じてはいけません
≪ 苦しみから救われるためには、信じなければならないと、皆さんは
 思われるでしょう。しかし、考えてもみましょう。苦しみを苦しみだと思う
のは、なぜ。人生に意味はありやなしやと苦しむのはなぜでしょうか。
それは、人生には意味があるものだと思っているからです。しかし、もしも、
人生にはとくに意味は最初からないとしたら、「どうでしょう。意味はありや
なしやと苦しむこと自体が、ひょっとしたら、勘違いなのかもしれませんよ。≫
                        『41歳からの哲学』
 ☆ 意味ない人生を、いかに意味付けるか。意は心。その意に味付けを
 していき、『意味』にする。どの道、人生など錯覚、その錯覚を、 己の
意志で意味づけしていくのが人生。だから面白い。どの道、死ぬのだから。
 ―― 
  * 定点をもつ
≪IT革命を究めたところで、我々が生身であることに変わりなく、自然災害の
前には降参するしかない。自然すなわち人智には絶対不可解な大宇宙に、この
自分が生きて死ぬとはどういうことなのか、考えて気がつくだけでも、我々の
人生は変るのである。なんだ人生というのは、あんがい変らないものだなと。
変わるものにおける変わらないものとは、定点である。定点からみると、
先行きどうなるかわからない地球上のこの状況も、永劫の宇宙史における
一風景、そんなふうに見えてくる。 定点とは、相対化する視点である。
これを手に入れるとラクですよ。 ≫        『週刊ポスト』
 ☆ 定点とは、考えること? 変化する自分を見つめる視線? 
  自分の中の、他我? それとも、揺れ動く心を見つめる、小さな自分? 
 ――
  * 何のために生きるのか
≪この人生、何のために生きるのかとは、生きている限り避けられない問い
ではありましょう。それは人間にとって最も根源的な問いであって、だから
こそこんな問い、人に問うて答えが得られるものではない。根源的な問いほど、
自ら問い自ら答える以外はあり得ないのです。もしも本当に答えを得たいので
あれば、生きている限り一度は必ず自らに問うてみるべきでしょう。
「私は、食べるために生きているのか、生きるために食べているのか」
さて、本当に楽しい人生は、どっちだと思いますか。≫ 『人生は愉快だ』
 ☆ 旅先で、何のために旅をしているのか、とは考えない。答えが出るのは、
 目的がハッキリしている時で、それを旅行という。そのプロセスを楽しむ、
味わうのが旅。とすると、人生は、与えられた条件の中で、可能な限り人生を
味わい、生を全うすることになる。で、それを前提として生きているかどうか!
 
・・・・・・
2015年03月31日(火)
5129,失業率9割の国、ナウル共和国 〜1
 先日のTVレポートで、ナウル共和国の現状を報じていた。
街中、大相撲の小錦、曙のような肥満体の人が、何をするでもなく

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03月31日(木)
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