ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5461,こう生きて、こう死にたい −1
         「こう生きて、こう死にたい 」津本 陽 (著)          
   * 織田信長は超現代人
 当時の織田信長の戦略・戦術を駆使すれば、欧州全体を凌駕できる
能力があったという。群雄割拠の戦国時代の中 何の先入観も持たず、
与えられた条件の中で、整理をし、再構築し、判断、実行して、天下を
治めたのだから、想像を絶した能力がなければ不可能。何時の時代でも、
日本人の信長好きは変わらないが、それだけの人物だったようだ。
  〜まずは、アマゾンの内容紹介より〜
<人生は一場の夢。この時代をどう生きるか。人間50年、運命の不可思議、
神仏の効験、サムライの美学、勇気と臆病など、津本・自らの作品から
抜粋した、歴史の英傑群像に学ぶ箴言集。>
 作家・津本の以下の説は、当時、話題になっていた。
≪☆ 私は織田信畏のことを、超現代人のと呼んでいる。なぜかー。
 現代人は学校教育の恩恵をうけて大変知識はあるが、物事を判断するとき、
教育によってえた学識や先入観にわずらわされてしまい、自分が本来もって
いる叡知、あるいは思考力を発揮できないでいる。それに対して信長は現代人
よりはるかに理性的で合理的。既成のすべてを疑ってかかり、与えられた条件
を自分のなかで整理し、再構築し、判断する。実行するに当たっては果断。
それゆえに、私は信長を‘超現代人’と呼ぶのである。 『旋風陳信長』
☆ 信長の性格の際立だった特徴は、意識のうちに何の先入観も持っていない
 ことである。戦国期の侍は、大義名分によって行動した。彼らが依拠した
武家社会の枠組みは、「すべての武士の主人は将軍である」という約束である。
 武田信玄は、将軍の補佐役になるのが生涯の念願であった。上杉謙信は、
足利将軍家の分家である関東公方の管領職(副将軍)になるのが、生涯の念願
であった。彼らはいずれも、自分の生まれる以前から社会に自然物のように
存在した、社会の枠組みに立脚して、行動をおこそうとした。
 だが、信長は何物にも絶対的な価値を認めない人物であった。領国、金銀、
官位にも、それ自体の属性としての絶対的価値を認めず、自分の置かれた
状況に応じて、それらがどれほどまで利用できるかという、利用価値の判断
をするのみであった。 『乾坤一滴』
☆ 明晰な論理を展開し、合理的判断をした後は、迷わず、自ら信じた道を
 押し進む。そして潮時を計って、攻める時は一気苛性に、退く時は、躊躇
しないのが信長の戦いぶりであった。  『武将の運命』≫
▼ 1575年、織田信長が3000丁の鉄砲を三列に並べ連続射撃を行い、無敵の
 武田騎馬 軍団を打ち破ったが、これは欧州でもなかった画期的戦術。
この戦術を使えば欧州を制覇出来たのではとさえ言われている。死を賭けた
勝つか負けるかの瀬戸際で考えたため、次々と戦略・戦術が湧き出てくる。
当時の最先端の鉄砲に柵を立て、騎馬軍団の進軍を阻止し、その後ろから、
三列の鉄砲隊の合理的射撃。当時の鉄砲の射程は短く、再発射まで時間が
かかる。戦慣れしていれば、次の射撃までの間に敵陣に切り込むが、近づいた
彼らを待っていたのは第二陣の射撃。更に追い討ちをかける第三陣がいる。
そして再装填を済ませた第一陣と繰り返えす。どれもこれも、当時は、想像も
出来なかった戦術、戦法。 後講釈の説があるとしても、『超現代人』の
言葉に何の違和感が出てこない。
・・・・・・
5097、遊ぶこと ーうさ晴らし
2015年02月27日(金)
         〜「人間であること」時実利彦著
   * 遊ぶこと 〜うさ晴らし
≪ ・第二の遊びはうさ晴らしである。新皮質の理性、知性に抑圧されている
 辺縁皮質の本能の欲求と情動の心をかなえさせる。人間は、集団生活の中で、
フラストレーションがおき、その辺緑皮質を乱しかねない。そこで、あらゆる
手段で、それを解消しようとする。それは原初から存在している遊び、つまり、
歌であり、踊りであり、お酒(酩酊)である。 新皮質は、アルコールに
非常に敏感で、辺縁皮質がまだまいってないのに、さっさと麻痺してくれる。

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02月27日(土)
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