ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5421,人生で最も大切な技術 ーD
        『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 幸福に関する名言 〜あるがまま
5年前の節目時以来、少し気持ちは沈んではいたが、比較的冷静であった。
学生時代からの早朝の2〜3時間の読書習慣や、ネットサーフィン、スポーツ
ジムなどの日程を組み、只管、その積み重ねてきたが、それが内面的世界=
「心のシェルター」の役割にになっていた。このブログが、その形跡になるが、
逆に、逆照射してみえてくる上っ面の世界の好い加減な面白さを味わうことが
できた。 というより、自分の上っ面の好い加減を合せ鏡で見えてきた。
  〜以下の内容は、現在の気持ちそのままに代弁のようである。
 で、これはこれで得がたい貴重な体験と思えるようになっている。
≪ 心の平和を維持する技を体得した人は、成功して鼻高々になることも
 なければ、失敗して意気消沈することもない。そのような人は、どのような
経験もつかの間のものに過ぎず、それにこだわることがどれほど無意味かを十分
に理解している。そのため、どのような経験でも、深く平穏な心の状態を保つ
ための修行の一つにしてしまうのである。事態が悪化したり、逆境に置かれたり
しても、「激突」して破滅する危険はない。その人の幸福は確固たる土台に
根ざしているため、心がぐらつかず抑うつの底に沈み込むこともない。
 オランダの若き女性、エッヒ・ヒレスムは、アウシュビッツ収容所で
命を落とす1年前に次のような注目すべき心境を書き残している。
「内面的な生活を体得したなら、収容所の塀の外側にいようが内側にいようが、
一向にへこたれない。私は、既に数千の強制収容所で数千回の死を心の中で
経験している。私の心はすべてを知っている。どのような新しい情報も、
もはや私を苦しめることはない。とにかく、私はこの世のあらゆることを
知っている。それでも、この人生は美しいと感じられるし、あらゆる瞬間が
意義深いものと思える。あらゆる瞬間がそうである」。
 香港で開かれた公開セミナーに出席した折、聴衆の中から一人の若者が私を
名指してこう質問した。「人が生き続けなければならない理由を一つあげて
ください」。この本は、その若者の質問に対するささやかな回答と言って差し
支えない。 というのは、幸福とは、命を慈しむことに他ならないからである。
生きる理由を見失うということは、底知れぬ苦しみのどん底に突き落とされる
ことである。外的な条件が幸福を左右するのと同じくらい大きな影響力を、
苦しみが心の状態に与えるのである。このことを正しく理解することは、
生きる価値のある人生を謳歌するための前提条件である。
 では、どのような心の状態が生きる喜びを奪い、逆に、どのような
状態が喜びを膨らませてくれるのだろうか。
 世界観を変えるということは、短絡的な楽観主義に切り替えることでも、
逆境を軽減するために人工的な陶酔感に浸ることでもない。
不満や欲求不満の奴隷になってしまうと、心はとりとめなく混乱してしまう。
それは、廃嘘の壁を塗りたくるように愚かな行為であり、ただ、「幸せだ、
幸せだ」と繰り返し自分に言い聞かせるような無駄な試みに過ぎない。
幸福を探求することは、ばら色の眼鏡を通して人生を見ることでも、世の中に
はびこる痛みや不完全なものに目を閉ざすことでもない。幸福はまた、
あらゆる犠牲を払って狂喜を長続きさせようとする試みとも異なる。
憎しみや執着などの、心をゆがめる毒素を浄化することであると同時に、
実体のない上辺の姿とあるがままの真実の姿の間のギャップをなくす作業
であり、物事を大きな視野で展望する方法を学ぶことである。
そのためには、心がどのように機能するかをよりよく理解し、物事の本質を
正確に洞察する力を体得することが必要となる。なぜなら、苦しみは、
その最も深い部分で、現実についての本当の性質を誤って把握してしまう
ことと密接につながっているからである。≫
▼ 人生は生きてきたとおり老いて、死んでいくものと実感する。

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01月18日(月)
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