ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5396,自分史の書き方  ー⑧
          『自分史の書き方』立花 隆(著)
   * 書き出しについて―人はみな万世一系
 日経新聞の『私の履歴書』は、まず出自から始まる。全く知らない人から
みれば、当然だろう。アメリカは移民の国のため、その出自は、様々で複雑。
そうこう考えると、哲学ではないが存在の不思議に驚かされる。
いま、ここに、自分が存在するのは必然か、偶然か? 〜その辺りから〜
≪ 自分史の第一歩はまず、自分の出自について一言するところからはじめる
 のが常道である。それが常道だが、具体的にどう書くか。ここに見るように、
具体的な書き出しはさまざまだ。親のことからはじめてもいい。家系のことから
はじめてもいい。人間みな親があってはじめて生まれてくる。親にはそのまた親
があって・・ という具合に、人は誰でも、先祖というものを引きずって、
この世に生を受けている。
 人のDNA(遺伝情報)はすべて先祖から引きつがれている。よく天皇の家系の
尊さの表現として、「万世一系」という言葉が使われるが、万世一系なのは
天皇家だけではない。その人に伝わっているDNAに着目し、そのもとを次々に
たどっていけば、それはそれで結果的にたった一つの系統に帰着するから、
「人はみなその人なりの万世一系の遺伝情報の流れを引きずってそこにいる」
ということができる。
 人間の形質はすべてもとをただせば、その人のDNAに行きつくわけだから、
自分という人間のメーキング・オブを語ろうと思うなら、有名な家系であろうと
なかろうと、先祖のことに多少とも言及するべきである。あなた自身、自分の
中に先祖の血を感じないとしても、あなたがそこに一人の人間として存在して
いるという事実それ自体が、あなたの中にある先祖の血の存在を証明している。
 ・・(略)
 自分史を書くにあたって、親ないし家系のことから話をはじめるというのは、
最も一般的な書き方だが、それは人間関係の本質から考えてもっともなこと。
そう思ったら、そのために必要な準備作業をちょっとしておくとよい。
親ないし、親戚の人で、一族の歴史に詳しい人に、あれこれ質問して話を
聞いておくのである。親のことは自分の記憶で書けるだろうが、家系のこと、
一族のこととなると、必ずしもそうではないだろう。わからないことは、
知っている人から話を聞くにかぎる。一族の中にはたいてい一人くらい、
一族の歴史に詳しい人がいるはずだから、そういう人を探しあてて、根掘り
葉掘り話を聞くのである。 ともかく、個人の記憶の範囲で自分史を書くか、
一族の歴史にまで話をちょっと広げるかで、自分史の厚みが決定的にちがって
くるということは覚えておいたほうがよい。≫
▼ 子供の頃から、末っ子のためか、何時も両親の傍にいたこともあり、
 それぞれの家庭の話しを聞いて育った。家庭内には様々な問題がある。
父親が晩年、家系に興味を持ち、近くの小千谷市近郊の池津村の27代
続いた本家筋を訪ねてきた話しを聞いた記憶がある。当時は、それが
どうしたとしか思わなかったが。わけの分からない郷土研究家とかいう
人物にガセネタの、高田城の出城の『鮫が城の元城主』とかいう家系と
聞かされ、喜んで信じていた。最近、ネットで調べたら、堀井と堀江の
間違えだった。その似非?郷土研究家の書いたコピーがあるが、その間違い
を当然知っていたはず。姉たちが、それを信じ吹聴していたのは何だった?
新井市近郊の出城に訪ねていったが、山の上の砦のような跡でしかない。
・・・・・・
5031,ポジティブ・サイコロジー ー②
2014年12月23日(火)
 『 ポジティブ・サイコロジー』クリストファー・ピーターソン(著)
  * よいこと3つの記録を
 「よいこと3つの記録の継続」は、シンプルで簡単そうだが、継続というと、
なかなか難しい。刺激と変化がない生活で、少年のように探すとなると・・
 そのうちに、よいことを意識してするようになる? 感動、感激、感謝を
加えても、それでもなかなか。面白いのは面白いが・・ーその辺りから抜粋ー

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12月23日(水)
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