ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5389,自分史の書き方  ー②
            『自分史の書き方』立花 隆(著)
 15年前から、随想日記として一日一文章を書上げ、ブログに公開してが、
この中で書いた「思い出話」や、50回以上に渡って書いた、「準備を含めた
45年間の事業総括」が、自分史を書上げるとしたら、そのまま資料になる。
それと多感な22〜25歳の頃の日記も、ここで公開してある。
 この年齢の視線で逆照射し、俯瞰した自分は、赤面の至りのことばかり。
20歳時に志をたて、それに向かい捨身で生きてきたことは確かである。
その過程の悲喜劇の中で、何とか、日々を過ごしている小さな己の姿が垣間
見ることができる。その姿が、何とも愛おしくもある。
  〜以下の、アマゾンビューの批評がわかりやすい〜
≪ 立教セカンドステージ大学における受講者の皆さんの自分史を引用しながら、
その書き方を示した本。ただし、自分史の書き方を指南した部分より、受講者
の自分史原稿そのものが実に面白い。特に「親子二代で書き上げた自分史」は、
太平洋戦争が始まる前からの個人の記憶が克明に描かれており、当時の人が
日常、何をどのように記憶していたかという貴重な記録の集積である。
「語り継ぐ」ことは、いつかはできなくなるため、「書き継ぐ」ことが極めて
重要になるとよくわかる。世の中の物価やニュース、また、その当時は
「記録するに値しない」思われる「今」の日常が、わずかな時間であっと
いう間にかけがえのない記憶になることが、この本を読むとよくわかる。
 もう一つは、誰の人生にもどんな人生にも、語るべきドラマやストーリーが
あるということ。「今」はただがむしゃら、必死、夢中、逆に絶望の淵という
人生で、「時間」がそのいかなる過去をも俯瞰すべき物語に変えてくれる。
「年齢を重ねていくということは大したものだ」ということを雄弁に語る自分史
の力に魅了される。 自分史を書くためには、自分についての資料が欠かせない。
自分に関する資料は、ネットでは調べられないことも重要だ。同じニュースを
100人聞いてもそのとらえ方は100通りである。そして、時間が経つと
そのとらえ方も変化していき、その人固有の記憶となる。仮に自分史を誰かの
為に書かなくとも、年齢を重ねるその度に「自分を俯瞰しなおす」という
行為・作業が欠かせなくなる。時間というのはとても不思議なもので、意識
して過ごさなければ(自分で記録をしなければ)今日という日も1年前、
5年前と同じようにあっという間に色あせてしまう。
「あれから僕たちは何かを信じてこれたかな?」という歌詞で始まる
「夜空ノムコウ」という歌がはやった時があった(これも10年以上前)。
それを確かめるべくして、執筆された受講生もいたのだろうか。
「これまでこうだったから、これからはこうだろうな」という見方あり、
「これまでこうだったから、今後はこうしてもいいのではないか」という
見方あり。自分は10年後、20年後人生をどのように俯瞰するのだろうか。
そう考えられる程、すべてのサンプルが優れている。一読を勧めしたい。≫
▼ ここで、<年齢を重ねていくということは大したものだ>とあるが、
 これは「経験を重ねていくことが大したものだ」ということ。実際に経験
してこそ解ることがある。<「語り継ぐ」ことは、いつかはできなくなるため、
「書き継ぐ」ことが極めて重要になる>は、社会に一歩踏出した前後に、
書いた日記を読み返すたびに、思うこと。あのまま、何で書き続けなかったか、
書いてなかった部分の詳細の「いま・ここ・わたし」は、断片的に書いていた
部分を除いて、スッポリと抜けてしまった。 実は、当時の日記帳は厚くて
余白のページが、まだまだあったため、気が向くと(数年間隔で)書き足して
ある。時おり、それを、ここで書いてみるつもりだが・・ 
・・・・・・
5024,読書脳 ぼくの深読み300冊の記録 ー2
2014年12月16日(火)
        『読書脳 ーぼくの深読み300冊の記録 』立花 隆(著)
   * ドーキンスの『神は妄想である』

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12月16日(水)
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