ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5368,世間、社会、会社の意味とは ー③
        ーなぜ日本人は「世間」を気にするのかー三浦朱門著
   * 日本の世間は稀有な条件下で育まれた人間関係である。
 自然発生の「世間」は馴れ合いで、「社会」は厳格な原則がある。
その辺りが、分かれ目となる。日本は島国で、異種混合が少ない世界。
そのため、「郷に入っては郷に従え」の馴合いになっていく。
≪ 世間というのは、馴れ合い同士の人間的つながりが、社会というのは、
一定の利害を共にする人間集団で、そこでは個々人の思想や行動の自由、
あるいはメンバーの行動規範の違いが前提となっているといってよい。
日本の世間は、千年余にわたって外国からの侵略もない、海に囲れた地域の
中で育ってきた人間関係。
 しかし社会とは、歴史的にさまざまな過去を持ちながら、たまたま利害を
共有する面があって同じ地域で一緒に生活する、といった人間関係です。
そこには他者と自分の間にシキリを設けるというか、あくまでも他人と自分
との間の越えてはならない障壁があることが前提となっているようです。
 世間には、人と人を隔てる障壁があろうとも、それを取り除こうとする
動きがあるように見えます。そのような形で、人と人を結びつける世間ですが、
それは無限のものではありません。具体的には、外国人に接するとき、日本の
世間の延長のつもりでいると、相手は妙な顔をするし、第一、言葉が通じません。
 岩手の人と鹿児島の人は、自分たちの日常の言葉では意味の通じないことが
あるかもしれませんが、それでも、NHKテレビの言葉にできるだけ似せて話せば、
まず、会話が成立しない、ということはないでしょう。
 しかし、相手が外国人であれば、どうもなりません。
つまり、世間というものには一定の範囲があって、それは別の言い方をすれば、
日本という地域、そして日本人という顔ぶれの範囲、ということになりましょう。
私がこの本で書いてきたことは、一言でいえば、「日本、そして日本人とは?」
ということなのかもしれません。つまり、日本人は世間を通じて一体となって
いるのです。≫
▼ 都会で、「田舎もの」という地方出身者を馬鹿にした言葉がある。
 都会に出て初めに意識するのが「田舎もの」の自覚。そこには、地方に
存在してない様々なタイプの存在に、孤独の群集に馴染めず、孤独に陥る。
そこで、都会という身近な「世間」に、まずは同調せざるを得なくなる。
そこには、契約で結ばれた部分と、暗黙の契約の存在がリアルにある。
それを逸早く察知できるかどうかが、当面の問題になる。今では、社会?の
隅々まで、外国人が存在しているため、「世間的側面」より「社会的側面」の
必要性が大になる。資本主義社会が世界の主流のため、価値基準が、お金と、
有効利用でリアルに判断される。「隣の人は何する人よ?」など論外になる。
・・・・・・
5003,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと 〜③
2014年11月25日(火)
            ー「私が語り伝えたかったこと」河合隼雄著
  * 先住民の老人たちの品格ある姿
ユングがみた先住民の品格ある老人たちは「自分の生の価値」を確信していた。
人生を自信を持っていく抜くためには、「生の価値(意味)」を知っておかな
ければならない。それを知り得るかどうかで、人生は大きく分かれてくる。
その一番手っ取り早いのが読書。 ー以下は、考えさせられる内容であるー
≪ 民俗学者の柳田國男は、自分の近所の人で、いつも落ち着いて人間が
 できていると感じさせる人が あったので、その人に話しかけてみた。
そして、その人の安定した生き方の秘密を発見した。その人は自分は死ぬと
「御先祖様」になると確信していた。死んでも自分の霊は御先祖様の一員と
して迎えてもらい、それを子々孫々が祀ってくれる。柳田は、このように
「遠い将来」のことについて確かな見とおしを持っている人が、落ち着いた
生活をしているのは当然のことと思う。まったく異なる例をあげてみよう。
 スイスの分析心理学者カール・ユングは1929年頃に、アメリカ先住民の

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11月25日(水)
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