ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5273,「読書の腕前」 ーA
「読書の腕前」ーA 岡崎武志著 ー 読書日記 〜
* 本は「即効性のない」メディア
倉庫内の書棚で見つけて再読しているが、HP内の検索によると、
2008年1月31日に一回だけ、書評を書いていた。(後にコピー)
当時、熟読はしてなかったことは、読書日記が一回で終わっていた
ことでわかるが、この本、改めて精読すると、なかなかの内容。
ここで、著者は「人間の土台は、『読書』がつくる」というが・・
それにしても、半世紀以上の読書を続けてきた割に、人間としての土台が、
軟弱なのは、20歳までの読書の絶対量が、あまりに少なかったためと、
自覚をしている。 〜その辺りから抜粋〜
≪ 本というのはじわじわ効いてくる。あるいはそのときには気づかなくても、
後になって考えると、ちゃんと効果があった、とわかる。または、効き目が
なくとも、いつのまに溶けて、静かに体内に吸収されてしまっている。
本とはそういうもの。だから、「本というのはもともと不便なもの」だと
北上はいう。 注目すべき発言である。ところが、現代は「不便」を嫌う。
効率や至便性を重んじて、極力「不便」を切り捨ててきた。
その点、本は、いやでも読む場所を固定し、そこに自分の肉体を釘付けにし、
いくばくかの時間を費やさなければならない。「読む」という意志も必要だ。
「不便」なことこのうえない。「そこに便利なものを求めてしまったら、
ものの中身が変質してしまうという怖さがあるでしょう」 北上は非常に重要な
ことを、静かに主張している。なぜ、そんなに急ぐのか。なぜ、とりあえずの
結果や答えを求めようとするのか。仕事のことでは、大切なことかもしれない。
しかし、それは本の役目ではない。「あらすじ」だけ知って事足れりとした
のでは、その本と出会うチャンスを永遠に放棄してしまったことになる。
本を読んでいる時間が惜しい? いや、ほんとうに惜しいのは、
読書の時間を失ってしまったことのほうだ。
『だれが「本」を殺すのか延長戦』で、デザイン評論家の柏木博と対談した
佐野は、こんなことを言っている。「幻想かもしれないけれど、僕は本という
ものは、時間の流れを一瞬で止めることができるメディアだと思うんです」
われわれは否応なく時間によって動かされている。現代に生きる以上、
それから逃れることなどできない。画家のクレーは「人間という動物」を
「血でできた時計」と定義した。われわれはまるで、血という電池で動いて
いる時計、なんだと。 読書はそんな時間の流れに逆らう行為である。
視覚と脳を通して、読めない人にとりては記号や模様にしかすぎない文字を、
速やかに解読し、心と身体になじませていく。こうした奇跡のような行為は、
文字通り、時間を忘れて没頭しなければできない。天体の運行も、この地球上
のすべての時計の針も止め、ひとところにじつとして、ただ本のなかを流れる
時間だけに身を委ねる。そんな至福の時間を放棄して、「あらすじ」だけで
答えを求めて何になるというのだろうか。 〜p18・19 ≫
▼ 人間を、「血で出来た時計」とは、いい得て妙である。
大学に入るまでは、試験勉強に追われ?面白いと思える純粋な読書習慣は、
あまりに少なかったが、20歳・30歳代は、一日、2〜3時間、40歳代は4時間、
50・60歳代は5時間は、読書に時間を当てていたが、ノートや手帳に記録する
習慣がなかったことが悔やまれる。 50歳半ばから、この随想日記に書き残して
きたが、それまで大学ノートに、せめて1〜2ページの読書録、備忘録を書いて
いたら、格段に豊かな知識の相乗効果があったはず。知識の蓄積の量と質は、
直ぐに露出するから怖い。 〜つづく
――――
2008年1月31日
「読書の腕前」ー@
面白そうなところを何箇所、書き写してみた。
なかなか含蓄のある読書論であり、何度も肯いてしまった。
ーー
川面に多くの舟が漂っている、私たちはひとりひとりが違う舟に乗って
流されている。中には錨を下ろしている舟がある。
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08月22日(土)
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