ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5262,贅沢を敵にしない  〜ニーチェ「超」入門〜
              〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
   * 贅沢を敵にしない        
 ここで何度も書いているが、小・中・高・大学の同級会に毎年、出席して
いるが、進学するほど当然、空気が違ってくる。その大学でも、進級するに
つれ、属したグループの人の質(知識、家柄、人柄,etc)もアップしていく。
 4年前から、世界が住居の長岡だけに狭まったが、この小さな世界の段差が
嫌でも見えてくる。この城下町は未だ『贅沢は敵』の精神が付いてまわる。
 稼いだだけ、堂々と使えば良いだけだが。 で、30年間、堂々と使ってみて、
どうだったか? いや、良かった。本当! 使った分は、あの世とやらに、
持っていける。ということで、両親にも教わっていたが、以下の論に納得! 
≪ やせた土地には作物が育たない。これと同じことが人間にもいえる。
 貧しい状況から豊かなものは生まれてこない。しかし、経済的に豊かな
状況からのみ何かが生産されるということではない。心が豊かであれば、
あるいは豊かな感受性を持っていれば、そこから生まれてくるものが必ずある。
豊かな知識、豊かな経験、豊かな能力、豊かな力、豊かな度量、そういった
ものから必ず生まれるものがある。
 しかしまた、いくら莫大な資産を持っていようとも、それを使わなければ
何かが生まれてくるということはない。当然のことながら、贅沢から生まれる
ものは多い。贅沢を好む気持ちからでさえ、蕩尽からでさえ生れるものがある。
ケチ、節約、出し惜しみ、死蔵、衰弱、弱気、過度の貯蓄などから豊かなもの
は生まれない。それでは、豊かなに生きられない、人生を十全に生きられない、
いきいきと生きられない、ということを意味する。
 たとえば、返済に数十年もかかるローンを組んだために好きな本も買えずに
図書館から借りては返し、質の悪い衣服をまとい、質素な物を食べなければ
ならない生活というのは、それ自体が豊かなことではないし、豊かなものを
生むのがとても難しくなる。実際に、そのために子供すら育てられない家庭が
あるのだ。粗食だの節約だの質素だのというのは、早々に人生を見切った老人
にまかせておけばいい。わたしたちは人生を見切るという愚をおかさないため
にも、豊かさを好み、贅沢を味方にしておかなければならない。
 そうでないと、ただ生きるだけになるからだ。税金をはじめとした支払いの
ためだけに生きることが人生といえるのだろうか。それはそもそも人生と呼べ
るのか。 豊かに、多彩に、悲喜こもごも、味わい尽くすのが人生である。
 あのイエスさえ、粗末な衣服をまとってはいなかった。ニーチェもまた
質素な生活はしていなかった。昼はいつもホテルのレストランでステーキと
オムレツを食べていた。ニーチェは、人間はもともと贅沢を好むものと述べる。
 人は豊かさを好むものだ。禁欲よりも放縦になびく。誰が好んで広い空より
も狭い空をあおぎたがるだろうか。誰が好んで、多くの可能性よりもわずかな
手だてを選択するだろうか。人間の本性の顔は贅沢に向いているのだ。
 たしたちは、机上の計算をするだけで金銭を得ることが当然だと思っている
ような経理的な人間にだまされてはいけない。これだけの金しかないのだから
この程度しかできないと彼らはいうのだ。彼らは金こそ可能性と力だと思い込ん
でいる。数字の計算が重要だと思っているような彼らより、本当に生産に
たずさわっている人たちは知っているはず。狭さよりも広さ、制限よりも解放、
圧迫よりも自由、計算上の明日よりも望みを含んだ今、貧弱よりも豊満、臆病
よりも大胆、反撥よりも限りない抱擁。そういったものこそ、人間をもっとも
人間らしい自由に導き、そこから新たなものを生むことを。かがんで身構えて
いては何も掴めない。踏み出し、進み、手を伸ばし、欲望をあらわにし、
求めなければならない。賛沢は何かを捨てることではない。何か新しいことを
得ることだ。贅沢は人間の能力を解放することなのだ。〜p109〜111  ≫

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08月11日(火)
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