ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5145,閑話小題 〜漫画本を読む感覚でシネマを観る
   * シネマは、漫画本を読む感覚で・・
 明日の金曜日は、所要でシネマに行けないので、昨日、前編に続いて
『ソロモンの秘密ー後編』を観てきたが、期待に反しない重厚な内容。映画館
で、シネマを観ると何か充実感が残る。大きな館内で、大型スクリーンで、
大音響で、数多の映画の中で選んで、独りで行って、観るからこそ没頭出来て、
その世界の幻想世界に入り込むことが出来る。平日の昼前後は、10〜30人
位しか観客がいないところも良い。この3年間、年に数度は休むが、ほぼ毎週
金曜日のシネマ通いを欠かさない。面白いから続いているが、デジタル技術の
進化で、迫力が日々、増しており、コスト対ストレス解消効果はネットに
劣らない。あれだけの幻覚の別世界に誘って、千百円は価値がある。 
平静を装っているが、ストレスは沈殿して、少しのことでも動揺は起こる? 
そこでTVや、ネットなどで、自動発生するマイナスの情念を日々、解消する。
そのため面白、可笑しく、気持ちをフレッシュにしバウンドしている。
ハピネス・アドバンテージ(幸福優位性)を維持するためには、マイナス感情
の3倍の楽しみを持つ必要がある。慣れてしまえば、結構、ネタはある。
この文章を書く習慣も、その一つ。 
 20年になるが、母親が痴呆症になって5年半、そのストレスは尋常では
なかった。そこで、本能的に好きな年二回の秘境ツアーに行くことにした。
そうでもしなければ、ストレスの短期間解消が出来なかった。  あれは、
恐怖心を乗り越えるゲーム。帰路の機内では、ストレスが見事に消えていた。
その代りがシネマ通い。月4〜5回で4〜5千円が高いかどうかだが、居酒屋
や、スナックの一軒分からみれば、価値は充分。問題は、これも続けること。
 デジタルの映像漫画を、大スクリーンで、観ると思えばよい。所詮、人生、
振返れば幻覚の悲喜劇の世界。せめて、小さな世界から一時だけでも、
ドロップするのも好い。面白いことに、館内から出た瞬間、全てを忘れる。
人生と同じ。何せ幻想世界であるからだ。それを現実と思うから、変になる!
・・・・・・
4780,ぼんやりの時間 ー9
2014年04月16日(水)
               「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
  * ぼんやり時間について ーつれづれに
 10年前に、この本を読んでいたら、どうだったろう? 
まだ娑婆っけが強かった年齢。人生の余白を埋めることに全力をあげていた
真っ只中で、ぼんやりなど程遠い生活であった。 
 ー‘あとがき’の次の箇所が最後のマトメによいー
《ところで、「ぼんやり」という言葉は、辞書ではどう説明されているのか。
 何冊かを調べてみて、予想以上に評判が芳しくないことを改めて知った。
「①気がきかないさま。②利発でないさま。③どこか元気がなく、気持ちが
集中しない様子。④間が抜けているさま。⑤呆然としていたり、うかつで
あったりする状態。」 多くの辞書では、「ぼんやり」という言葉は否定的な
意味で説明されているし、世間の人ぴとのぼんやり観も、たぶん、同じように
否定的なものだと思う。たしかに、横断歩道のところで呆然とした状態で
ふらふらと車道に歩み出れば、これはもう危険な場所、不適切な場所での
ぼんやりは困りものだ、ということについて、私としては異議もなく、異論も
ない。そういうことは承知の上で、串田孫一は「ぼんやりしているのは人間に
とって非常に大切な貴い時間である」と書いたのだと思う。
 私は、串田の文章に共鳴するものだが、それでも、ぼんやりの否定面を
忘れることはなかった。ぼんやりの否定面を仮に「ぼんやりH」といい、
ぼんやりの肯定面は「ぼんやりK」ということにしよう。この本で繰り返し
説いてきたのは、主にこのぼんやりKのことである。「これは、ぼんやりKの
場合です」といちいち断ってはいないが、いままでこの本で書きつらねてきた
のは、ほかでもない、主にぼんやりKのことである。世の中の支配的な風潮に
対して否定的な考え方を示すことは、難しいことではあるが、ある意味では

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04月16日(木)
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