ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4996,暴走する世間 −10
           「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
   * 公共性と「世間」とは、同じでない!
 往復一時間の新幹線通勤を30年続けてきたが、そこは全国レベルの公共の場。
時どき、台風などで在来線が不通になると、一般客で満席になることがある。
そこが、公共性のある新幹線車内の「社会」と、通学、通勤の客の「世間」のミスマッチの
クロスになる。都会と田舎の違いは、両者がクロスしているか、いないかの差でもある。
それは、ネット社会でも同じことがいえる。  ーその辺りからー
≪「世間」は私たちを支配しているが、具体的にみえるモノではない。しかも「世間」は、
「広い世間」のウチに「狭い世間」が存在し、その「狭い世間」のウチにもまた「より狭い世間」
があるというように、一種の入れ子のような複雑な構造をもっている。
 問題なのは、「世間」は「共通の時間意識」をもつために、「世間」のウチの人間にたいしては
相互に「配慮」しあい「優しい関係」をつくるが、「世間」のソトの人間は、人間だとは思わない
という本質をもっていることだ。つまり「世間」は「世間」のウチにいる者を「身内」とよび大切に
するが、ソトにいる者を「赤の他人」と排除する。公共性という概念が「世間」に似ているのは、
ある種の社会的強制力をもつからである。しかし「世間」が公共性と異なるのは、「世間」が
つねにウチとソトという区別をおこない、「世間」の内部の原理がソトまで及ばないこと。
さきほどの例でいえば、「世間」のウチとみなされる町の駅はキレイに保たれるが、「世間」の
目のとどかない「世間」のソトとみなされる富士山の頂上では、この「キレイにする」「ゴミを
捨てない」という倫理・道徳は通用しない。日本は「旅の恥はか捨て」というとんでもない
格言があるが、これこそ、自分の「世間」のソトでは、「世間」がみていないので、タガが
はずれて「なにをしてもいい」ということを意味する。 居酒屋で盛り上がっている人間は
「世間」をつくっているから、他の人間は「赤の他人」であり、人間だと思ってない。
「世間体」とか「世間の目」という言葉は、その内部だけで通用するのであって、その外では
まったく機能しないのである。 花見でも同じで、世間はグループ内だけの話で、他の
グループには通用しない。最近若い女性が電車の中で他人の目を気にしないで
化粧するのも、自分の「世間」を離れたところの行為。≫
 ▼ ワールドカップで、日本人観客席が、帰り際に綺麗にゴミを持ち帰る姿が話題になったが、
  これも「世間」の特質の現れである。その世間が、神様かわりをしているとしたら、三年前の
節目から突然、私の前に現れ出てきた神様気分の、あの連中をコミック的に思えたのは
当然至極。これは、実際に経験してみないと味わえない経験でもある。世間様世界は、
面白い動物で満ちている。とすると私は、珍獣?
・・・・・・
4629, 夫婦格差社会 〜どういう男女が結婚するのか
2013年11月18日(月)
        『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著), (その他)
   * 結婚相手に何を望むのか ー
 ∵ 「なぜ一夫一婦制なのか?」に、
第一に、子供を養育する義務があるのは、男女の関係を結んだ一組を明確にするためである。
大昔は、生まれてくる子供の親が特定できないことが多々あったため、養育に支障をきたした。
一夫一婦制で子育てを義務化することができる。第二に、キリスト教などの倫理観から生まれた。
性の乱れを防ぐ目的もある。第三に、弱者保護の目的である。権力、資産、容姿、体格、知能
などを有する以上、弱者と強者が出てくる。強者が多くの異性を抱え込んで、弱者が異性から
排除される事態を防ぐための人類の知恵としての制度という学説がある。
 ∵ 「何故、男女が結婚をするのか?」に、「相補説」と「類似説」がある。
 相補説は、互いに違った点をもち、補完できるような組み合わせの方が結婚生活は、
うまくいくと考える説。類似説は、素質の似た者同士の方がうまくいくという説。補完説

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11月18日(火)
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