ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4936,コトの本質 ー6
  * 戦後、エリートが育たなかった    『コトの本質』 松井孝典著
 「戦後、エリートが育たなかった」というのは、先進各国との比率の問題をいっている。
それは秀才教育はしてきたが、天才、エリート教育はしてこなかったことになる。
≪ いまの我が国は、この意味では限りなくアマチュアの国になりつつあると思います。
ここでいうアマチュアとは、その主張の根拠がほとんどマスコミに出ている程度のことにある人の
ことです。自分の知っている範囲のことをすべてだと思い込み、あたかもそれが正論であるかの
ように、堂々としゃべる。そんな風潮が目につきすぎます。結局、そういう人たちには謙虚さがない
ということです。実際のところは―よく知りませんが、私の知っている範囲ではこうだ―という
いい方をするのが当然なのに、そうではありません。これっぽっちの経験しかないのに、
それを拡大し、人類一般な話としてどうのこうのというような議論までするわけ。
こういう状態を見ていると、この国はどうしようもない国になったなという感じがします。 
 プロフェッショナルがいないということは、いいかえれば、エリートがいなくなったという
ことかもしれません。いい大学に入って、いい会社に入って、というのがエリートという意味では
ありません。自分の頭できちっと考えることができる、しかもその座標軸は古今東西の歴史から、
芸術、哲学に通じ、科学に通じる、それがエリートです。このような広い時空スケールの中に
自分の尺度を持ち、すべてのことが判断でき、行動できるのがエリートです。
 秀才と呼ばれ、大学に残って学者になる人間はいっぱいいます。しかし、現在のいわゆ秀才と
いうのは所詮、与えられた問題が解けるだけの人間です。解くべき問題がつくれない人が、多い。
問題がつくれない人はエリートではありません。戦後教育は、あえてエリートをつくろうと
しなかったともいえます。すべての子どもに、最初から我がある、などという誤った前提に立った
ために、教育と呼べるような教育をしてこなかったのでは? だから、当然のことながらエリートは
育たなかったのです。我は初めからあるものではありません。 我の形成途上にある人間には、
我なんてないのです。しかし、いまの教育では前提として我があるかのように扱う。
それが個人の尊厳だと誤解しているーすべての間違いの元はそこにあると思います。
我とは何なのか、そもそもそれを考えたことのないような人たちが、平気で我を語り、我を
主張しています。我という概念ができる過程こそ重要だ、ということが忘れられています。
それは、他との関わりの中でなければ形成できないものです。
それなのに、我というものが最初からあると思い込んでいる・・・ ≫
 ▼「ゆとり教育」の失敗の根本が、この辺りにあったのでは? 「ゆとり教育」は、まともな
両親がいる家庭の元でこそ有効で、それがない場合はマイナスに大きくぶれるのは周辺を
見れば分かること。プロフェッショナルは、激しい競争社会の中で勝ち抜いた結果、一強多弱
から生まれ出るもの? 著者の説によれば、全ての人がアマチュアになる。問題は自分が
アマチュアと自覚できるかどうか。 キリスト教の下地がないのに、取ってつけたような戦後教育
を押し付けられた結果が、この様になった。私のレベルで40数年間、一日、2〜4時間の
独学では、広い時空スケールの尺度を持ちえるはずがない。哲学に興味を持ったのが
40歳代後半では、あまりに遅すぎた。別に、エリートになりたいとは思わないが、我とは何か? 
自分の問題とは何か? 等を、考えられる内部モデルを確立することが、まず必要ということ。
・・・・・
4569, 世界恐慌の結果、どうなる? ー2
2013年09月19日(木)
ー5年前のリーマンショック直後に書いた内容ー 
{2724、世界恐慌の結果、どうなる?ー2008年09月19日(金)ー}
《 恐慌になると過去の事例から、平均30%売り上げが減り、それに耐えられないところから
消滅を始めるという。毎日毎日、アメリカの発の金融危機のニュースが入ってくる。100年に

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09月19日(金)
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