ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4934,コトの本質 −4
   * 二十世紀の共同幻想は破綻した      『コトの本質』 松井孝典著
 二十世紀の共同幻想の一つに経済成長がある。その幻想が崩壊を始め、現在は、恐慌前夜の
様相である。この潮流は、今後とも続くことになる。何故なら、世界の中枢の脳は20世紀の共同
幻想そのもの。だから、崩壊は今後も続くのは自然の流れ。ネット社会の到来で この共同幻想は
違ったカタチになってきている。新たなネット社会の内部モデルは、瞬時に世界中に日々更新され、
進化と、深化の速度は早まった。 ーその辺りから抜粋ー
≪ 二十世紀以前からの共同幻想のひとつに、右肩上がりという共同幻想があります。
それを前提にした社会システムが非難されていますが、百年後といわず、十年後を考えても、
いまのような社会システムや、それが人間を規定するというようなことに関する共同幻想が本当に
破れないのか問題です。 現実には、どんなに大変な問題が山積していようと、ほとんどの人は
共同幻想に閉じて生きていますから、その中に埋没しているかぎりは問題が顕在化することはなく、
そのままでも生きられてしまいます。その間は、その人にとって問題は存在しないのです。
共同幻想を幻想とは考えず、人間を外から見ることができず、その中に埋没して生きている
人たちにとっては、共同幻想ではなく、それは真理であり、人間とはそのようなものだという
定義であり、そのために生きているという価値であり、すべてなのです。神しかり、宗教しかり、
愛しかりです。たとえ宗教に関わる者であっても、突き抜けた人は、その意味(共同幻想)を
きちんと理解しています。そういうレベルの人とは議論できるし、互いの意図を理解し合うことも
可能です。それぞれの分野で突き抜けた人、それをプロと呼ぶとすると、その人たちには
共同幻想ということの意味が理解できるからです。
 人間圏をその外側から見ることができなくても、共同幻想を、真理だとか、現実だとか、すべての
人はそうあらねばならないとか、その価値の正当性を主張するのは、やめることが必要です。
共同幻想というものは、正しいとか正しくないとか、わかるわからないではなくて、当人がただ
そう思い込んで納得しているにすぎないことなのです。しかし、逆説的ですが私は共同幻想を
抱いて生きることが、逆に現在生きている我々の人生を肯定すると思います。≫
▼ 己の人生を否定してでも、共同幻想を見据える視線は失いたくないもの。
リアルな外界を可能な限り見据えて内部モデルを更新し続けることしか、生きることが
出来ないのが人間である。 自分を振り返ると、終戦直後に生れ、高度経済成長の中バブル
の波に乗って流され、その崩壊が右下りのターニングポイントだった。そして、おおよそ10年後、
2001年の9・11テロ、2008年の9・15のリーマンショック、2011年の3・11震災を経て、
現在に至っている。20世紀の時代と共に、その共同幻想を疑いもなく信じ、右上りと、右下りと、
その崩壊過程を生きたことになる。21世紀の姿が見え始めたが、面白そうだが、
右上がりの明るい時代ではなさそうだ。
・・・・・・
4567, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー3
2013年09月17日(火)
            「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延 (著)
 最近、老いてきたためか、「突然死は、本人にとって決して悲劇ではなく、平均10年近くの
介護にならず済むため、むしろ幸運だった」と思うようになってきた。しかし、いざ「余命半年!」
と言われれば、生きたいと思うのが人情。あと一年半で私も古希をむかえるが、気持ちは
今だ50歳半ば。そのギャップは埋めようがない。ある日、余命半年か、一年と宣言されるか、
悟り、それまでの一生分の濃厚に圧縮された時間を過ごして、消えていくのだろが、
くも膜下で一瞬、消えていく可能性もある。  
 ー以下は、くも膜下で救急車で運ばれる当事者の生々しい場面の記述であるー
   * 空白の五日間
《 くも膜下出血で私が倒れたのは二〇〇六矢月一九日のことだ。

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09月17日(水)
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