ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6876,閑話小題 〜このタイミングに何故?
この感覚で人を誉めろ、ということ。人生を振り返り、もっと誉めれば
良かった!ったく。 ところで私がやたら誉めると私らしくないのが問題。
どういう人生を生きてきたのか、この男。 母親が還暦のとき、「子供たちは、
みんな感謝している。ただ誰も口に出さないだけ」と、言ったら、
「生きてきて良かった!」と。歳をとるにつけ、それがだんだん言えなくなる。
そうそう言ってはならないが・・ 言わなければならない時もある。
・・・・・・
5050,生と死をめぐる断想 ー4
2015年01月11日(日)
* 免疫学者・多田富雄の受苦
7〜8年前、『「生と死をめぐる断想』でふれた「多田富雄の生死の淵」を
取り上げたNHKドキュメントを見ていた。そこで、自分の中の「新しい自分」を
「鈍重な巨人」と名づけていた。全身全霊だからこそ、内なる巨人が現れ出る。
「受苦は魂を成長させるが、人格まで破壊するから頑張っている!」が良い。
ーその辺りを抜粋するー
≪「にもかかわらず」の哲学を実践したと思える、免疫学者の多田富雄がいる。
1934年生まれ。医学の道に進みながら若いころから専門の研究のかたわら文章を
著し、さらには能を創作し自らも小鼓を打つなど、旺盛な表現活動をしていた。
2001年、脳梗塞に倒れ、一命はとりとめたものの、右半身の完全麻痺と嚥下障害、
言語障害という重度の後遺症が残った。多田にとって右手は利き手であり、
字を書く手だ。その自由と声とを失ったのは、表現とコミュニケーションを
奪われたに等しい。どうにか自由になる左手でパソコンを覚えようとする。
利き手ではない上、それまでパソコンを使ったことがなく、わからないところを
口で訊くこともできないから、習得は困難を極めた。それでも少しずつ文字が
打てるようになり、執筆を再開。その頃のことをうった文章では、もどかしく
遅々とした歩みを「鈍重な巨人」に喩えている。「私の中に、何か不思議な
生き物が生まれつつあることに気づいたのは、いつごろからだろうか。
初めは異物のように蠢めいているだけだったが、だんだんそいつは姿を現した。
まず初めて自分の足で一歩を踏み出したとき、まるで巨人のように不器用な
そいつに気づいた」。「私はこの新しく生まれたものに賭けることにした。
自分の体は回復しない巨人はいま形のあるものになりつつある」(略)・・
自分の中に「新しい人が生まれる」のだ。緩慢で寡黙で、そしてときどき
転んで多田の体に痣を作るなどして、彼を裏切るその人を、いとおしさも込め
て「鈍重な巨人」と彼は呼んだ。 やがて多田は音声合成装置を用いて発話も
できるようになった。文章の執筆の他、能の創作も再開、車椅子での出かけも
はじめた。その多田に、さらなる試練が降りかかる。2005年に前立腺がんが
見つかって、手術をするも少しずつ進行し、転移による胸膜炎で2010年死亡。
・・リハビリの中で、努力を続けるわけを彼は次のように述べる。
【 受苦ということは魂を成長させるが、気をゆるすと人格まで破壊される。
私はそれを本能的に逃れるため頑張っているのである。】 ・・≫
▼ 4年前からの御隠居生活の環境で、新しい自分が動き出した実感がある。
それは、風によって、行き先が変わる「羽毛のような天使」のように宙に
浮いたよう。一歩間違えると、人格まで破壊されるマイナーのエネルギーの風
でもある。私も愛情を込め、内なるこれを、『羽毛の天使』と、呼ぶことに。
コヤツ晴れた日は良いが、雨風にねっぽう弱いが、過去未来に平気で飛んでいく。
そして、私と娑婆には、いやに冷淡?である。
01月11日(土)
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