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堀井On-Line
by horii86
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■6122,閑話小題 〜日本海の夕陽
 おの程度の自分史にするか。目標は日経新聞の「私の履歴書」あたりに置く。
「私の履歴書」は1日およそ400文原稿用紙3〜3・5枚が30回続き、
全部で100枚程度で終わる。この程度の自分史は、正しい手順に従って少し
ずつ書いていけば誰でも一書ける。その手順を教える。代表的な「私の履歴書」
の構造分析から始める。次に各自の自分史年表と同時代史年表を書く。
この授業では、各自がそれまでに書いてきたものを、相互に読み合い、批評
し合うことを随時行うから、恥かしいなどの理由でそれができない者は、
はじめからこの授業をとらないこと。】
 開講当時、一般社会のリタイア年齢(定年ー年金生活)は、60歳だった。
しかし、日本人の平均寿命が男性79歳、女性86歳まで延びている現在、
60歳はリタイア年齢としてちょっと早すぎる。むしろ、60歳は人生の中間地点
ぐらいに考え、「そこから、人生のセカンドステージがスタートする再出発
地点だと考えるべきだ」というのが、このコースの発想の原点だった。
 だが再出発してどこに向かうべきなのか。いま自分たちの未来にはどんな
可能性が横たわっているのか。日本は、世界は、これからどうなっていくのか。
そして、自分たちはいま何をなすべきなのか。
 このような「中間再出発地点」に立ったときに、なすべきことは、
「過去(自分と社会の両面。日本と世界の両面)を総括する中締めと、いま
自分たちが立っている地点を再確認すること」ではないか。そして
「未来の可能性を展望すること」ではないか。そのために必要なのは、
じっくり考えることと学び直すことだ。そのような学びに最適の場は大学だ。
そこには人生の学び直しのためのあらゆるインフラ(請座、教師、学び伸聞、
学び舎)がそろっている。こういう発想に立って開講されたのが
「セカンドステージ大学」だった。≫
▼ 昨年の今ごろ、やはり立花隆の著書を取上げていた。
 私の人生の中間点は、5年半の「まだらボケ」だった母親を看おくった後
だった。さて、今後、どうするか? 「最適な正解が考えられないなら、
還暦までの9年間で、30年分を生きること!」とし、そのまま実行した。
それについて何度か書いてきたので、ここで省くが、還暦を向かえた時、
「無事到達でき、心底、良かった!」と思えたのも、その5年後の節目時の、
「でも、まさか!」の坂を、何とか越えられたのも、この実践のため。

12月17日(日)
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