ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6079,「幸せ」の4つの種類
のことだ。この年は、京都から東京へ首都が移ってからちょうど50年目にあたる。
当時の有名企業は、こぞって50周年の記念行事を計画し、駅伝はそうした企画の
なかの一つとして、考案されたものだった。駅伝を発案したのは、当時はまだ
朝日新聞や毎日新聞の後塵を拝していた読売新聞の青年社員。彼は、京都の
三条大橋から東京の上野を結んで、昔の飛脚のように東海道五十三次をマラソン
リレーする斬新なアイデアを考え出した。「駅伝」という名前はこの時考え
出された。鉄道の駅に立ち寄るわけでもないのに、なぜ駅伝という名前が
つけられたのだろうか。これは、古代の「駅伝制度」にちなんでいる。
古くは飛鳥時代から、日本の主な街道には、急ぎの使老が乗り継ぐための
馬を配した「駅馬」「伝馬」が置かれていた。選手たちが次々に走り継いで
いく様子をこれになぞらえ「駅伝」と名づけたのだ。この日本初の駅伝は、
関東組、関西組のニチームで争われ、選手たちは三日間昼夜を徹して東海道を
走り抜いた。沿道は世紀の大勝負に大観衆が熱狂して声援を送り、最後は
関東組の勝利に終わった。この駅伝大会が成功したため、三年後は東京と箱根
を往復する駅伝大会が始めている。これが現在の箱根駅伝。最近では海外でも
駅伝が行なわれている。日本が生んだ競技が、世界に広がりつつある。≫
▼ 駅伝は順調でもチームの一人が倒れれば、それで終わりとう危険がある。
だから、見ている分には面白い。倒れた人は、それで一生の傷を負う。
甲子園の野球に、似たところがあって、そのドラマは残酷でさえある。

11月04日(土)
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