ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[382954hit]

■6074,閑話小題 〜恐ろしい身近な現実 〜5
  ・・・・・・・・
3505, フューチャリスト宣言 ー3
2010年10月30日(土)
  「フューチャリスト宣言」梅田 望夫 , 茂木 健一郎 (著)
  * 楽しくてしょうがないというやつしか勝てない
  ー まずは、茂木の日米の教育の基本的考え方の違いから ー
 茂木:日本の教育では基本的に「範囲」があって、『正しい範囲』を
押さえた人が最終的に大学入試に受かる。ところがアメリカの高等教育は違う。
・・アメリカの教育は最初から偶有性(何が起こるか分からない)の海の中に
生徒たちを放り込むしかない。とにか「自分の好きなことを勝手にやりなさい」
と。しかし個々人が好きな方向にとんがるとは言っても、やはり何らかの基準が
ないと困るので、ナショナル.ミニマムとしてSAT(大学進学適性試験)がある。
基本的に放し飼いなので、最低限のベーシックな問題しか出さない。
日本の大学入試みたいに、囲い込まれた世界で人工的な受験技術を磨く必要は
まったくなくて、それぞれが勝手な方向に突き進んでいるので、共通項としては
ミニマムにならざるをえない。ともかく、僕は公式的な正しい範囲なんて本来
ありえないと思っています。だから、日本の教育の本質は「談合」であると思う。
・・(略)つまりアメリカでは、とんがらせる方向というのは人によって異なる。
たとえば人によって、それこそ高校の時から量子力学まで進めるかもしれないし、
歴史を深く掘り下げたいという人もいるかもしれない。それに対し、日本は、
ここまでの範囲しか勉強をしてはダメといって人工的に競争をさせようとする。 
どちらが良いかは、アメリカが良い。・(略)それでも「とんがっていいんだよ」
ということが、最近では感覚として受け容れられてきた気がしてきた。
▼ アメリカの教育システムがベストという訳ではないが、私がミッション系
 の大学に入って感じたことは、小学校、中学校、高校から一貫教育できた
連中の自由闊達さに、まず驚かされた。他の都会育ちもいるが、地方の連中が、
あてがわれた受験勉強(大学進学適正試験)に多くのエネルギーを奪われている
うちに、彼らはジャズバンドに、ゴルフに、服飾に、遊びに、自由の空気を
満喫していたのである。現在考えてみて、その差があまりに大きかった。
当時は、それほど感じなかったが。それで「とんがるように生きてきた」が、
このザマ。先が歪んでいたから?・・ でも、とんがると、娑婆は面白くなる。
その自由闊達が社会に出たとき、そのまま世渡りにプラスになっている。
それぞれ一長一短はあるが、グローバル化は、「とんがり」が求められる。 
実は、心の奥は毎日が面白くて仕方がない? いや、そうでもない? 
「面白くなき世を、面白く」の意味が、歳を重ねていく上でシミジミと
分かりかけてきた、ということ!

10月30日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る