ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6012.閑話小題 〜実際の長生きは苦しい
▼「わたし」は、わ(我)の最小単位が、たし(足し)で加わって私になっている。
だから、人生を振り返ると、その時々の出会いとか、経験で、分人を増やして
いる自分が存在する。創業には、その分人たる主体たる自分が、厳然と、そこに
存在している。秘境旅行で、各地に旅をしている自分も、旅行先に溶け込んで
いる分人である。旅行を続けることは、旅先に溶け込んでいる分人を増やす
行為である。個性とは、過去の経験の総体の構成比率とは、言いえて妙である。
自己の変化とは、付き合う人間を入替えることだ。それも森の生活のうちである。
・・・・・
2013年08月31日(土)
550, 51年前の小学校の写真にタイムスリップ
『長岡市の昭和』という写真集の広告の折り込みが、今月だけで二度も朝刊に
入っていた。それも、一枚目は表面トップに実家の商店ビルの写真で、二度目は、
裏側に、何故か小学校五年時のクラスの集合写真。出版社に誰か同級生でもいる
のかとネットで調べてみたが??7名の小さな長岡市内の出版会社で、県内だけ
でなく全国の各市の昭和の街の写真集を出している会社。団塊の世代以上を
狙ったものだが、旧長岡市内の人たちに限定2000冊としても9990円で売れる
のだろうか?その方が心配になる。しかし他は、HPを見ると完売となっていた。
その小・中・高校時のアルバムが、引越しなどで紛失、同級会などで誰かが
持ち込んだのを見るしかなかった。で、51年の時空を超え、このチラシの集合
写真を何度か見ているうちに、当時のことが、次次と思い出してきた。
11〜12歳は、人間としての最終の熾烈な闘いがあって、そこで、ほぼ性格も能力
も決まるという。クラス内の力関係などで、誰かが常にターゲットにされる、
あまり気持ちの良くない年頃。そのため心の傷は深く残るもの。その最たるのが、
まあ、書くのは止めておく・・ 自分も似たようなものだったろう。
手取り早く学歴からみると、慶応一人に、立教三人、あとは大学名は不明だが、
数名、卒業しているから、街中の小学校として並みというところ。
学校の先生の子弟は新大付属小学校がある。ここで目立つのは長岡青果市場の
社長の息子で慶応と明治の教授をしたが既に故人になっている人とか、土田塗装
とか、何処かの中学校の先生とか、多種多彩。女性の方は皆目分からないが、
少し目立っていた三人が三人とも離婚?死亡数は男20人中に4人。女は分からない。
主任は非常に厳しいので有名な西沢先生。その後、多くの小学校校長を歴任し、
最後は何処か教育長をされた人で、定年時に400人が祝いに集まったという。
20年近く前に、私が経営していた新潟駅前ホテルに泊まって、古町を数軒、
飲み歩いたことがあった。せっかくなので、この数日、当時の記憶をたどって
いるが、51年の時空を超えて嫌な記憶を中心だが幾らでも出てくる。
太平洋戦争と長岡空襲の影響も色濃く残っていて、口に出さなかったが、
戦争孤児とか様々な問題を各家庭が抱えていたようだ。 そうこう振り返って
みると、子供の頃の記憶から、繁華街で、父親の大きな影響下で、負けん気が
強い遊び好きの生意気な子供だった。今だ続いているが・・ 当時、家庭内で
多くの問題があり、母親が倒れてしまい、住居が商業ビル3Fから、歩いて7分
ほどの駅裏に移転していた。その辺りから、やっと学業に目覚め始めてきた。
生活環境は本当に大事である。
08月31日(木)
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