ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5973,閑話小題 〜ヨガの話 ー5
翌年の1914年に現実になり、その幻想は間違ってなかった認識をえたのは幸運。
作家の創作も似ているが、あくまで、これは潜在意識の観察であり、本人の魂の
開放である。重なっている部分は、主人公の魂の開放を通して、読み手を満足
させようとするところ。(全ての小説が、そうとは限らない。)
 ところで、過って行ったことのある世界の旅先を、毎日のようにTVで放送して
いる。実際に見てきた以外の所も映し出す。そうすると、当時に立ち返り、
そこに自分が行っているような奇妙な感覚になる。これも、能動的想像法の
一つになるのか?老人が過去の思い出に浸っている時、心は能動的想像の
世界に入っている? だから、勝手に孤独な老人と決め付けるのは間違い。
この年齢になって分かったことは、行蔵にあまりに多くの経験があることだ。
 ・・・・・・・
3406, この国の終わり ー3
2010年07月23日(金)
 * 「転ばぬ先の杖」こそが知性の原点
 恐怖と不安は鋭敏な自衛感覚を育て、それによって人間である限り永遠に
尽きることのない敵に対処することこそ、人間の知の原点。その典型的な形が、
外交をはじめとし、最後の原爆投下にいたるまでのすべての闘争における
攻撃と防御のストラットジーである。恐怖は考えの母であり、不安は考えの
教師である。考えた結果を個人的な知性に転じるという能力もまた、疑うという
能力をも持っていなければ達成できない。疑いの度合いが深ければ深いほど、
そしてその疑いの解答が明晰であればあるほど、人は賢くなる。
「何故」があり、「何故なら」がある。 西洋哲学は恐怖と不安への疑いが
原点であり、西洋宗教も同じである。それが日本人以外の人間たちが持つ知性。 
一神教的知性なのだ。 賢い人、とは、知性があるということを古風に言った
言葉である。ただの「物知り」とは違う。知恵者とも言った。
知恵は智慧とも書く。・・・・
▼ー感想: 知性とは、モノゴトを知っているということでなく、恐怖と不安
 を感じ取り敵に対処する人間の原点をわきまえ知ることである。持っている
知識を、それに対処する智慧を知性という。言われてみれば、当たり前のこと。
(字数の関係でカット2012年7月23日)

07月23日(日)
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