ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5877,世界がもし100人の村だったら お金篇 〜1
 ソフト・ランディングだったこともある。しかし、5億、10億の現金があれば、
軽井沢のマンションか、ハワイを考える。としても、現在と大して変わりはない。
いや、違うか! 天使の様に、肩に羽をつけ、浮いたように生きればよいだけ。
 フワフワ生活するのはお手の物。いずれにしても死んでしまうのだから、
今を楽しむしかない。場所は二の次? 改善でよい。
・・・・・・
4041, 世界の旅行記101 ー2
2012年04月18日(水)
  * 旅行記は事件簿でもある
 はじめにー旅行記を読むということーの冒頭が、旅行記の本質をついている
≪ 古今東西、旅をする人たち、旅を愛する人たちは無数に存在した。そして
 無数の旅行記、紀行文が書かれた。どうも旅という非日常の行動は、文章の
起草をはげしくうながすものらしい。いろいろの旅行記がある。任務をもって
旅したものであれば、復命書を。さだめなき漂泊の旅にでたものであれば、遍歴
の跡をしるす随筆を。どれも当の本人にとっては、記録としての重みは、ひとしい
だろう。だが、旅行記を読む側からすれば、自から興趣には軽重の差がある。
「読み甲斐」のある旅行記とはどんなものであろうか。まず考えられるのは、
旅そのものが、冒険や危険にみちている場合。 安穏として、ほとんど日常の
域を出ない旅とはちがい、未知の領域や未踏の領野をゆく旅は、つねに発見と
遊遁にみちている。ドキドキ、ワクワクの連続は、旅する本人とともに読者をも、
不安と興奮にまきこむ。探検記、踏査記が長らく愛読されてきた由縁である。
 旅は始点と終点とがある事件であるとすれば、旅行記は事件簿でもある。
そこにふくまれる小事件のつながりが、どれだけ起伏にみち、意外性にあふれて
いるかによって読者へのアピールはことなる。実際には、みずからその事件に
参画することは困難だが、そのアピールをうけいれ、旅行記とともに旅という
事件を追体験する。おそらくは、なにがしかの潤色がほどこされるではあろうが、
旅は現実に存在した事件であるだけに、迫真の体験が身にしみる。アームチェア
で葉巻をくゆらせながら読むものも、通勤の電車内で文庫本に読みふけるものも、
旅行記から、かの体験をうけとるだろう。ときには、身にうずきを感じ誘われる
かのように、みずから旅への計画にむかうこともあろう。
旅行記の効用は、じつに広く深い。≫
▼ この事件簿は大事件の膨大な資料が詰まった代物。それぞれのダイジェスト
 は50数人が書いたのを編集したもので、紀元前から近代まで至っている。
2〜3ページに纏められているので、軽く読めるし飛ばし読みもできる。
2千数百年にわたる時代の世界各地を、それぞれの目線を通したフィールドワーク
を編集しているから、面白いはず。とはいえ、ダイジェストはダイジェストだから、
これを手引書として各書を読むと良い。旅という非日常から、旅先の日常を垣間
見るのも面白い。 私たちの生きている世界が、いかに極小で、特異ということ
にも気づかされる。 私たちは最高の特異の時代に生きてきた!のである。

04月18日(火)
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