ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5669,閑話小題 〜マイナスが大きいほどプラスも大きくなる!
一方、試合の最中に、ゴジラが襲ってきてスタジアムを踏みつぶすというのは
「デインジャー」である。対処法は「サッカー必勝法」のどこにも書かれてない。
だが、そういう場合でも、周囲の状況を見回して「ここは危ない、あっちへ
逃げた方が安全だ」というような判断ができる人間がいる。
こういう人はパニックに陥って腰を抜かす人間よりは生き延びる確寧が高い。
でも、いちばん生き延びる確率が高いのは、「今日はなんだかスタジアムに
行くと厭なことが起こりそうな気がするから行かない」と言って、予定を
キャンセルして布団をかぶって寝ていた人である。 9・11テロの日も、
「なんだか『厭なこと』が起こりそうな気分がした」のでビルを離れた人が
何人もいた。彼らがなぜ危機を回避できたのかをエビデンス.ベースで示すこと
は誰にもできない。・・東北大震災で、助かった人は、それが単なる偶然であり、
生き延びたことに『理由』を求めるのは愚かなことである」と言うような発言を
してはならない。それは死者を二重に穢すことになるからである。
私たちがもし幸運にも破局的事態を生き延びることがあったとしたら、私たちは
その都度「なぜ私は生き残ったのか」と自問しなければならない。「他ならぬ
私が生き残ったことには理由がなければ済まされない」という断定は誇大妄想
でもオカルトでもなく、人間的意味を「これから」構築するための必須条件である。
だから、WTCをテロの直前に離れた人が「なんだか『厭なこと』が起こりそうな
気がして」というふうに事後的に自分の「異能」を発見するようになるのは
当然のことなのである。そうすべきなのである。私が生き残ったことに意味が
あると思わなくては、死んだ人は浮かばれないからである。 誰かがそう
思わなければ、被害者たちは殺人者の恣意に全面的に屈服したことになる。
そして、その断定を基礎づけるためには、自らの責任で、長い時間をかけて、
ほんとうに「デインジャーを回避する力が人間には潜在的に備わっている」と
いうことを身を以て証明しなければならない。だが、私たちの社会は戦後66年間
あまりに安全で豊かであったせいで、危険をすべて「リスク」としてしか考察
しない習慣が定着してしまった。「デインジャー」に対処できるにはどうすれば
開発できるのかについての「まじめな議論」を私はかって聴いたことがない ≫
▼ 去年春の事業の帰結は、9・11テロと、9・15リーマンショックと、
3・11東北大震災の「デインジャー」によるが、「リスク」レベルの要素
が無かった、とはいえない。 それでも、当初からの事業設計に万一の
「デインジャー」対策を組み込んでいたので、九死に一生を得ることができたが?
「家族経営はしない(妻子を事業に入れない)」「家内の通帳は別だて」。
「予備資金の積立」は、9・11による売上減で青くなり、始めたばかり。
これを一部でも使いざるを得なくなった時は、迷わず廃業と決めていた。
御陰で事業をたたみ裏山に辿着いたが、下を見るとノンビリとした
世界が見える。外海の超大津波が見えない!のである。
09月22日(木)
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