ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5619,閑話小題 〜日本五大花火大会について
され、直線のように考えられ、測れるものとされている。現に私も同じである。
アリストテレスもカントも、伝統的な時間論に従っていた。アリストテレスは
「以前と以後に関しての運動の数」、カントは「時間は人間主観に備わった形式」。
ベルクソンは、時間は、本来数えることのできない、はっきりした輪郭を持たず、
外在化する傾向も持たず、数との間にいささかの類縁性ももたない、継起
(数えることの出来ない感覚や感情の持続)であると、考えた。彼は、人間の
生を純粋に持続するものととらえた上で、その純粋持続こそ時間だと考えた。
純粋持続は意識に直接与えられる時間、内側から生きられた時間であり、
時間は、音楽のメロディを聞いているようにときのように、空間や世界から
切り離されて、徹底的に主観化され、内面化されている、とする。
演劇を観ていて時間を超越している感覚である。話は少し脇道にそれたが、
人生など結局は独りでしかない。偉人とかいうのも、所詮は、その時代の尺度
の評価でしかない。 それも時代時代に評価が変わっていく。
「人間は<よく生きること>ただ、それだけで充分」と思うように
なっただけ、歳をとった。
08月03日(水)
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