ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5548,閑話小題 〜都知事の変節
 立役者は白人のペニー・グッドマン(一九〇九〜一九八六)。彼は、一九三四年
に不況のあおりで自分のバンドを解散せざるをえなかったフレッチャー・
ヘンダーソンから、そのビッグ・バンド・スタイルの編曲を丸ごと"買い受け"
たのである。そしてそれに洗練を加えることによってダンス音楽としてのジャズ
に新たな味わいをもたらした。そもそもジャズは、誕生当時からダンスホールや
クラブで演奏されることが多かったように、ダンス音楽の側面を持っていた。
ジャズが鑑賞のための音楽になるのは、その後のことである。
 グッドマンは、より速いテンポ、短いフレーズの繰り返し、軽快で歯切れの
よいタッチの演奏で、それをスウィツグ・ジャズ・スタイルとして確立させた。
グッドマンのあとには、トミー・ドーシー楽団やグレン・ミラー楽団といった
白人ビッグ・バンドが続いた。 やがてこのスウィング・スタイルでのコンポ
(八人くらいまでの小編成楽団)も人気を集めた。彼らはニューヨークの五二番街
に集中していた小ぶりなクラブでもっぱら演奏したので、五二番街は
「スウィング・ストリート」と呼ばれた。スウィングを担ったジャズメンは
白人が多かったものの、だからといって、ジャズが「黒人による不良っぽい
ワイルドな音楽」から「白人による健全でスイーツ音楽」へと変質したわけ
ではない。むしろ、スウィングから次のビバツプの時代を経て、ジャズが黒人
だけの音楽から、白人を含む音楽へと広がりを持ったと認識すべきであろう。】
▼ ここでジャズは、元もとダンス音楽の側面があり、スウィングの流行後に、
 ジャズ音楽鑑賞として進化したとは知らなかった。それも、あのべニー・グッド
マンがスウィング・ジャズの立役者とは。 あの恐慌の半ばで・・・ 
それと、学生時代に持っていた少ないレコードの中にグレン・ミラー楽団と
べニー・グッドがあったことを、この書を読んでいて思い出した。

05月24日(火)
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