ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5494,人生 〜何のために生きるのか ―池田晶子の言葉 〜②
  これが最大の間違い。間違ってなかったとしても、それも時代の大津波が
  襲って破壊しているだろうから、どこで間違えたのだろうか?という問いが
  間違えていることになる。 継続しているじゃないか?というが、
  良くて半分、悪いと五分の一。 これに原油高に、消費税のアップ。

・・・・・・
2011年03月31日(木)
3657, つれづれに
 私にも大きな試練と転機がきた。65歳ということか。 
毎日が、原発事故の悪化を示すニュースである。本格的な恐慌へ一歩
踏み込んだようだ。 今日は、ホテル開業30周年になるが、・・
違う意味でのメルクマールになる!偶然だが、去年の下の文章が身に沁みる。
 ・・・・・・・・・
2010年03月31日(水)
 3292, 人みな骨になるならば ー8
 * くぐり抜けた境地   (p−237)
ーまずは、スカッとする?部分を抜粋するー
            (人によれば、冷水を浴びせらた感じか!)
 これまで縷々と述べてきたことは、要するに世界はわれわれに対して、
期待するほどには親切ではないが、危惧するほど冷酷ではないということだ。 
もちろん、われわれの幸運・不運によっては、期待する以上に慈悲深かったり、
また危惧していた以上に残酷だったりするが、それにも特別な意味などない・・
 究極の課題は、われわれがあらゆる無用な縛りを脱ぎ捨てて、自分だけの
人生を積みあげることである。それはたぶん海岸で砂の城を築くような児戯で
しかないだろう。いずれ波が浚っていき、後には元の砂浜が残るだけだろう。
そのことが何故、かなしむことなのだろうか。われわれは僅かな時間でも立派
に砂の城を積み上げたのに。この事実だけは何も否定できない。神であろうと
宇宙であろうと。われわれの人生というものは、ひとつのモニュメント
≪記念碑≫である。それだけで意味や価値の有無など関係ないのである。・・ 
誰も認めたがらないことだが、おそらくわれわれ一人一人の人生は無駄である。
われわれの人生は将来だれにも顧みられることのない記念碑なのだ。
歴史的・空間的に座標を持ちはするが、束の間に開花して終わるモニュメント
でしかない。 早晩、誰も憶えている人が居なくなってしまう無駄な記念碑
こそが、われわれ一人一人の生涯である。無駄ならせめて輝く無駄でありたい。
この場合、「何もかもが無駄なら、輝こうが輝かなくても同じだろう」
という野次には抵抗力をつけておこう。 単に、くすんでいるより、輝いて
いた方が良いだけだという、切り返せなくてはならない。この「無駄である」
という自覚を通してしか、われわれは知的な、あるいは心情的な束縛から抜け
きることが出来ない。「無駄である」という覚悟がないと、現世のさまざまな
意味や価値や人道や正義に惑わされてしまう。臨斉義玄が警戒した「人惑」とは、
これら総称したものである。・・意味や価値の雲海を抜けきった先には、実は
何もないのである。それを解放と感じることができない人々は、元の古巣に
戻るしかない。・・ 「おそらくわれわれの一人一人の人生は無駄である」
「無駄であるという自覚を通してしか、知的な、心情的な束縛からぬけきる
ことができない」「人生が無駄であると悟ることで、意味や価値の雲海を抜け、
その先が実は何もないことを知り、それが解放と感じる境地が全てである」と。 
般若心経の色即是空、そのものではないか。それを虚無主義とかいうベールで
包んで、色=現象の世界の絶対言明としている全てを根こそぎ掘り起こし、
そんなものは何ということはない!と、断じているのである。 虚無も決して
マイナスではないのである。 

03月31日(木)
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