ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5488、閑話小題 〜人間の尊厳とは
ベーカリーをオープンさせた。恐いもの知らずで、捨て身でよくやった!もの。
ただ無我夢中であった。 その時、実家でトラブル発生。急遽、店舗二店とも
知人の伝手で経営委託をして長岡にUターン。危ない綱渡りである。
人間にはイザというと、自分で決め込んだ能力を遥かに超えた力が湧き出てくる
ことを、この経験から知った。ビル投資5千万に対し一億で売り抜けたが、新潟
のホテル開設資金の資本金になった。千葉の千城台はジャスコ勤務の後に産能大
に通っていた時に確保したもの。 新聞で県の住宅供給公社が造成した団地の
商業地区の売却を目にしたのが始まり。ところで父は、実家の事業に携っている
婿取りの姉夫婦と、実兄と、私の関係を心配をしていた。 そのため亡くなる
数年前に突然、家に呼び出され、会社の株式と、主だった会社名義の土地を、
私と、母と、兄と、姉に、4等分の相続を宣言し、名義を変えてしまった。
これがトラブルのタネ。その時、姉夫婦は呆然自失。父は地方名士志向の姉夫婦
を見限っていた。ところが父の死後、生前贈与以外の父名義の財産を姉夫婦が
都合良く分配していた。その上、間接的に「母親と、兄と、私の会社株式を
自分たちに譲れ!」と迫ってきた。 それ以前に、「父の死後の社長は母親」
という父の遺言書を無視をして、母を説得、義兄が社長になっていた。
私は「乗取り陰謀」と激しく、それを認めた母親をなじっていた。それもあり、
私が千城台ビルで、二軒目の焼きたてパン屋を開店した直後に、「主だった
従業員を引き連れて出る。それとも・・」と迫ってきた。御家騒動の勃発。
起こるべきして起こった騒動だが、母と実兄は、二人の豹変に動転し、怒り
心頭だが、私には、想定とおり。 大学を出てからの熾烈な日々が、
「この程度の問題処理など朝飯前!」ぐらいにしか思えなくなっていた。
千葉の知人に相談したら丁度良い人を知っていた。 急遽、その人と経営委託
をして実家に戻ることになった。これも丁度良い、節目。しかし朝飯前と思って
いたが、ここも過酷な日々が待っていた。地方名士を自認していた姉夫婦の
後釜に、馬鹿息子がクーデターを起こして帰ってきたという街の冷たい視線と
流布の中で、私にとっては第二の創業。姉夫婦にとって、手際よくUターン
するとは思ってもいなかったようだ。それより我慢を重ねてきた母の激怒が、
全て。 私もイザという時の見極め(正中心一点無)は、持っていた。
03月25日(金)
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