ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5487,閑話小題 〜人間原理とは
   * 人間原理とは何か
 ベルギーのテロが、やはり起こってしまったが、イスラム教は恐ろしい。
というより、イスラム原理主義が恐ろしい。 考えてみれば、アメリカも
キリスト教原理主義国家。旧約聖書によると、この世界が現れたのが7千年前。
それを信じろというのは土台無理。イスラム教徒とキリスト教徒が、アブラハム
のX(エックス)たる神の存在を信じているというから・・ この当り前の
矛盾の指摘を、ただの無神論者として軽く退けられる。そこで、最近よく目に
するのが、『人間原理』たる言葉。この宇宙には、なぜ私たち人間のような
理性的な存在者がいるのか。人間は偶然この世に現れたのか。それとも現れる
べくして現れたのか。人間が存在しない世界は可能だったのかを神抜きで
論じた原理。 〜そこで検索すると〜
≪ 1. 人間の存在は奇跡である
 人間のような理性的存在者が、それどころか原始的な単細胞生物であっても、
宇宙に生まれてきたことは必然ではなかった。もしもビッグバン初期の膨張
速度が実際よりほんの少し速ければ、重元素(水素やヘリウム以外の元素)や
銀河が形成されず、低濃度の水素ガスが希薄になるだけの歴史しか展開し
なかっただろう。逆にもし膨張速度が実際よりほんの少し遅ければ、宇宙は
数分の一秒以内に崩壊しただろう。いずれの場合にも、生命の存在余地はない。
生命を育む宇宙を初期の特異点が作る確率は10の−1230乗と試算されている。
宇宙開闢の段階で、生命誕生はもう既に十分偶然的と言えるが、生命が誕生
する条件が整うためには、これ以外にも多くの偶然が重なっている。
プランク定数、光速度、電子と陽子の質量比などが現在の値と異なっていても
生命は存在しなかったはずだ。またこうした基本的な条件がそろっていても、
もし太陽系の適正な惑星数、太陽と地球の間の適当な距離、地球の程よい重力、
大気の温暖効果、太陽風や紫外線のカットなど様々な偶然のうち一つでも
欠いていたら、地球上に人間は誕生していなかっただろう。
  2. 結果から原因を説明する
このように、宇宙に人間が現れたのは、奇蹟的な偶然である。
この偶然を説明するために科学者が持ち出した仮説が、人間の存在から宇宙を
説明する人間原理である。ビッグバンから人間の存在を導こうとすると、奇蹟
のオンパレードになってしまうが、人間の存在から宇宙の現状を導こうとする
と説明に必然性が出てくる。ただ科学者は原因から結果を説明する因果論的
説明に慣れているので、結果から原因を説明する目的論的説明に反発する
科学者も少なくない。 人間原理には弱い人間原理と強い人間原理がある。
・前者は、「宇宙の年齢は100億年以上である。なぜなら、主として重元素から
できている太陽系や人間が存在するためには、宇宙の開闢当時存在しなかった
重元素が星の内部で合成され、それが星の爆発によって外部に放出され、
そこから太陽系ができるまでに100億年以上かかるからだ」といったもので、
常識の範囲内である。
・強い人間原理はもっと過激である。宇宙の存在は人間のような知的生命の
認識にかかっており、もし宇宙に知的生命がなかったとすると、その宇宙の
存在は認識されないのだから、存在しないも同然であるとまで主張する。
 こうした「我思う、ゆえに宇宙は存在する」という主張は、自然科学者に
とっては奇妙に思えるかもしれないが、哲学者にとってはおなじみの超越論的
観念論である。≫
▼ キリスト教圏、いや一神教圏では、その大元がアッラーの神の名の下、
 解決してくれていたが、現代社会では、それでは納得することは出来ない。
で、現れてきたのが、人間原理である。これは、哲学者にとってはおなじみの
超越論的観念論である。だから哲学は面白い。今だに一神教が支配する世界に
アッラーの絶対神をアナザーワンとして論じるのだから面白くない訳がない。
 で、ユダヤ教の現代版の生活共同体の応用の社会主義が現れ出て、壮大の
実験の結果が、以下の結果。狂信的独裁者にとって、これほど都合の良い

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03月24日(木)
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