ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5302,『自分を超える 5つの法』とは 〜『自分を超える法』ー⑦
少しは実感できた。その意味で、後からは「よい経験だった」と語り直している。
もちろん、くも膜下出血の体験も同じだ。あのできごとがなければ、
それ以前の私と同じように、命や人生について深く考えることもなく、
生きていただろう。そう思うことで、今となっては「あの体験こそ、自分に
とってかけがえない宝物だ」と、胸を張って語り直すことができる。
最後に、フランシス・マクナブという臨床心理学者の言葉を引用しておく。
できれば、何度も繰返し味わってほしい。「記憶をつくり変えたり、それを
遠ざけたりするのは無理なことである。 略)…しかし、つねに私たちは、
自分の苦悩、自分自身の内的経験、自分自身の精神の経過を処理しているわけ
である。それは過去とよばれる客観体ではなく、現在とよばれる主観的経験。
変える必要があるのは、誰か他の人間ではない。最も大きく影響されるのは、
私たち自身。記憶をぬぐい去ることはできないが、記憶の有りようを変える
ことは可能であることを、私たちは知っている。」 》
▼ 私も色いろあって、思いもよらない結果、オセロの白が、全て黒になった
ようなもの。そこで現在、過去の要素を元に物語を語り直しを独りしてきた。
これこそ、「日々是好日」から、「ヒビ、これ口実」の辻褄合わせ。
その辺りの自分の心の浅ましさがいじましい。それも、自覚をしていれば
良いが、全く自覚なしでやるのが人間。
・・・・・・
4195, 呪いの時代 ー12
2012年09月20日(木)
* 「片づかなさ」の人間性
ー第8章 これからを生き延びる智恵
贈物を貰った場合、何かを返さない限り気持ちの中に、「片づかなさ」が残る。
これが人間社会とサル社会との差。私はビジネスの場面で、それを徹底して
カットしてきたが、私的場面でも何時の間に持ち込んでいたようだ。
これが、つくづく間違いだったと反省していること。結局、人との付き合いは
贈り贈られで成り立っている。 それにしても「贈り物」とそれに対する
「反対給付(お返し)」が、人間たる由縁とは。以下は ーその辺の抜粋ー
≪ 人類学者マルセル・モースはその著書『贈与論』のなかで、贈与論の主題
を端的にこうまとめています。「受け取った贈り物に対して、その返礼を
義務づける法的経済的規則は何であるか。贈られた物に潜むどんな力が、受け
取った人にその返礼をさせるのか」 モースも、マリノフスキーも、
レヴィ=ストロースも、「贈り物」とそれに対する「反対給付」が人間集団を
形成する本質的なカだとみなしている点では共通しています。贈り物をされると
「お返し」をしないと気持ちが片づかない。人間性とは、すべての装飾を剥ぎ
取って言えば「贈り物をもらうと、お返しをしないと『悪いこと』が起きそうな
気がする」という「負積感」のこと。いや、ほんとに。だから、この「負債感」
を持たないものは人間ではない。そう言い切っていいと思います。
「贈り物」というと、僕たちはふつうお中元お歳暮のようなかたちのあるもの、
価値のあるもの、実用性のあるものを思い浮かべます。でも贈り物はそれには
尽くされません。というか、贈り物というのは「価値あるもの」を贈ることでは
ないからです。そうではなくて、「これは贈り物だ」と思った人がそう思った
瞬間に価値は生成する。そういうふうに順逆の狂ったかたちで贈与という
儀礼はつくられる。例えば、挨拶というのはある種の贈り物。
(字数制限のためカット 2015年9月20日)
09月20日(日)
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