ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5277,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー①
・・・・また他方、死というものが、ここから他の場所へ、旅に出るようなもの
であって、人が死ねば、誰でもかしこへ行くという、あの言伝えがが本当とする
と、これより大きい、どんな善いことがあるのでしょうか、裁判長諸君。」ー
 葬式で、「故人は旅立たれました」というが、夢なら醒め、旅なら帰って
くるのが前提にある。永遠の眠りというと、そこで夢を見る可能性がある。
無に帰した者が夢の見ようがない。あくまで心象風景でしかないのが、これで
わかる。 最近、ブラックホールに喩えることがある。その人の全てが、
その中に吸い込まれ、再び戻ってくることはない、という意味で、喩えとして
科学的風である。 ブラックホールは生命を終えた星が爆発をして、その重圧で
空間の歪が生まれ、穴が開いて異次元?の時空に周辺のものを吸い込んでいく。
これを死に喩えることは、これはこれで、説得力がある。最近、ホワイトホール
も、存在も云われるようになってきた。何処かの歪から何が噴出している空間の
存在。それは生命ということになる。 面白いのが、死の喩えを、生そのものに
している説がある。 これまでの死の喩えのは、生のうちで経験される現象=旅、
眠る、去る、失う、等々である。それらは再び我われの元に帰ってくる可能性
がある。死は絶対性であるから、「死ぬ」に永遠性が現われてくる。そうすると、
永遠に眠る存在になる。こんなそんなで、結局、死は喩えると分かりやすそう
だが、生きている人間の論理というのが露出するだけ。同じ動物の牛に喩えると、
先ほどの喩えは不自然である。死も、生きていることも、幻想でしかないなら
喩えでイメージするのも良いではないか。 少し、眠たくなってきた。
  (字数制限のためカット2011年8月26日)

08月26日(水)
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