ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383257hit]

■5274,クオリア再構築 ー①
2697, 散歩について
 2008年08月23日(土)
散歩の習慣と効用については何度か書いてきた。1月から3月半ばを除けば
毎朝、豪雨でない限り歩いている。もう25年ほどになる。年々少しずつだが
歩数は減っているが、それでも毎朝一時間弱は歩く。 日本人の歩行は、
この三十年で激減しているという。30年前で7000歩が現在では
6000歩弱に、車通勤では、4000歩も歩かない。江戸時代には日本には
散歩という概念がなかった。車がないので、何処に行くのにも歩いていたから、
敢えて歩く必要も無かったようだ。それでも、現代人と比べると3倍から5倍は
歩いていたという。西欧人のように、「楽しみのための目的なしの歩き」に名前
を散歩と名をつけたのは、勝海舟であった。氷川清話には、散歩の話がところ
どころ出てくる。散歩の語源は、漢方の言葉で、漢方の内服薬を飲んだあと、
その薬を早く吸収させるため歩くことを意味していた。勝海舟は、外国人が
生活の中に散歩を取り入れているのを見て、心身の健康の効用を看破した。
私にとって、散歩のない日々は考えられないほど、日常生活の一部になっている。
大雨で歩かなかった翌日など、身体から毒素(恐らく活性酸素だろう)が抜けて
いくのがわかる。それと、脳の活動が活発になるのも分かる。これを続けて
いると鬱病などなる訳がない。早朝に、陽光にあたりながら、鳥の声と、川の
せせらぎの音を聞きながら、深呼吸をして歩いていれば、マイナス思考など
出ようがない。最近はiPodでアルファー波のタップリ入った音楽を聴く習慣も
取り入れた。哲学の小道が京都になるというが、決まった道を、他のことを意識
しないですむ道という。ソクラテスではないが、プラトンなどと問答しながら
歩いたのは、脳が活性化するためである。散歩を健康のためとか、考えるため、
というのでは長続きはしない。あくまで楽しい日課の一つとして取り入れて、
スキップするような気持ちで歩くことだ。最近80歳過ぎの少し痴呆症の入った
年配の人が散歩をしている。道に立って、来る人来る人に手を上げて親しそうに
話しかけている。 (字数制限のためカット 2012年8月23日)

08月23日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る