ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5273,「読書の腕前」 ーA
ような人がいるが、人生は誰も同じようなもの? わがままな二代目か、婿取り
娘が果たして長生き?かというと、そうでもない。それぞれ気苦労がある。
ライフワークを続けること自体が、わがままになるが、10年20年が必要。
今からでも遅くはない。
・・・・・・・
3801, 哲学人 ーB
2011年08月22日(月)
『哲学人』 ブライアン・マギー著 ー読書日記
ー 第一章 子供のころの記憶
〜時間に始まりと、終わりはあったのだろうか?〜U
【 何かが存在するためには、その何かは「ほかのものとは違う何らかの個性」
を備えていなければならない。つまり、その何かは「異なるもの」も存在して
いなければならないのであり、その「何かに限界がなければならない」のである。
したがって、いまあるものに終わりがないということはありえず、いまあるもの
に始まりがないということもありえない。私は始まりのない時間も終わりのない
時間も不可能であると確信するようになった。かといって、始まりや終わりが
あるという可能性をつかめそうにないわけでもなかったが。さらに、似たような
問題が空間に関して存在することにも、私はすぐに気づいた。いまでも覚えて
いるが、ロンドンからイングランド中部のマーケット・ハーボロに
疎開していたころ(確か十歳か十二歳の頃だった)。公園の芝生に横になって雲
一つない青空をずっと奥まで見通そうとしながら、こんなふうに考えたことがある。
『 もし僕が空のなかにまっすぐ、昇ってそのまま突進んでいってたら、
どこまでも進んでいけたっていいはずだ。でも、そんなことはできない。
どうしてできないのか? きっと最後には終わりみたいなものに突きあたるから
だろう。だけど、どうして?最後に何かにぶつかるのだとすると、その何かは
空間のなかにないといけないんじゃないだろうか。そして、その何かが空間に
あって、空間ももっとあるとすると、その向こう側にも何かがあることになる
んじゃないか。ただ、そうすると限界がないことになるけれど、終わりのない
空間なんかあるはずない。終わりのない時間がありえないのと同じである。』
こうした問題にしきりと頭を悩ませた末、私はこう考えるようになった。
最大の間違いは、自分に想像できないものがあるはずはないという仮定にある
のだろう。 考えられることと、実際にありうることとは違うのかもしれない。
結局のところ「つぎはどうなる? そのつぎは? そのつぎは? そのつぎは? 」
と、ずっと問いつづけていれば、確かにある意味では、永遠につづいていく
ものがあると考えることはできる。しかし、その永遠につづくものは考え
られるだけで、実際には存在しないということも、当たり前のような気がする。
無限というものは、考えることはできても、存在することはありえない。
たとえば星の敗が無限であることなど実際にはありえないように・・。
それとも、自分は落とし穴かち抜け出そうとしているのに、いままた落ちつつ
あるのだろうか? ともかく、真相がなんであれ(考えられるものが存在できず、
考えられないものが存在できるとしても)、それは自分が現に抱えている問題を
解決する役には立たないだろう。 時間に始まりがあるのかないのかについて、
それは真相を教えてくれないからである。いったい、このふたつのうちどちらが
本当なのだろう? 】 (字数制限のためカット 2015年8月22日)
08月22日(土)
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