ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5238,窃盗専門の「泥棒刑事」 −④
彼らにとって、選挙民の投票で現在の地位が保たれているからだ。政治家として
の能力より、タレントしてのパフォーマンスが要求される。だから、あの宮崎県
知事なっている何某が、臆面なく御笑いパフォーマンスで役割を果たしている。
世も末だ。 その意味、愚衆から選ばれた政治家が政治をした結果が愚衆政治
になっているのである。TVの出だしの頃、西部劇などで、白人の主役が
インディアンに襲撃にあい、反撃して殺しているのを喜んでみていたが、
あのインディアンは、我われの姿でもあったのである。白人=善人、
インディアン=悪人という洗脳でしかなかったのである。ハリウッド映画が
全盛を極めているが、その内容には隠された洗脳も多く含まれている。
・・・・・・・
2009年07月18日(土)
「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー 3
        【生きる哲学との出会い】 ー橋口譲二(写真家)ー
 *清水次郎長や殿山泰司の顔がなくなった
養老 いまの日本に「清水次郎長の顔がなくなった」と、TVに写真が出たとき
  ‘あっ’と思った。ちょうどブータンに行ってかえってきて、向こうには
  よくある顔だったんですね。人生やることは大体やってきて、修羅場も踏み、
  この辺で落ちついたという『まあ、こんなものだ』という顔。そういう顔が
  日本人からなくなった。 ブータンの顔は日本人によく似ている。
  モンゴロイドがゴチャゴチャの混ざった顔。 ・・そこで思い出したのが、
  黒澤明「七人の侍」です。 あの役者の顔が、幾らでもいるのです。
橋口 侍のような顔がなくなったのはのは、何でだと思います?
養老 「都会になったから」です。 都会人の顔になった、役人の顔になった。
  一種つくられた顔です。
橋口 何時ごろだと思います。
養老 気がついたのは15〜20年前からです。「面構え」「面魂」という
  言葉が死語になった。
橋口 僕が新宿の街角で少年達の顔を撮りはじめたのが1981年で、その頃
  からと今とでは変わりました。それはバブルの影響が大きい。バブルは人を
  とにかく豊かにして、しかし努力をして得たものでないので、落ちていった
  と思います。文化の享受の仕方が一面的になったというか、何か平たくなった
  印象です。以前に新宿にいたのは、いわゆる不良で、彼らは、自分を取り
  繕っていないし、自分を隠していない。不器用で、去勢されてない。
  ブータンの役人の顔が日本人に似ているのは、ある種、器用で要領のいい
  日本人の顔が浮かび上がってくる。
   ーー
 情報化の影響もあるのだろうが、世界が情報で溢れかえって、地区地区の
土着の味が無くなりつつある。日本の地方の辻浦々まで、情報が行き渡って、
その地区の特有の人間性とか祖先から受け継いできた 風習が損なわれてきて
いるからである。意識の全国総都会化で、地方のブロックが希薄になった。
また時代のエネルギーが消沈している時は、脂ぎった者同士が塀の上で争う
場面が少ないということか。
 

07月18日(土)
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