ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5147,1%による1%のための勝利戦略 ー②
(字数制限のためカット、2012年4月18日)
・・・・・・
2935,わが人生最良の瞬間 ー2
2009年04月18日(土)
一番、具体的に納得した「人生最良の瞬間」は小野田寛郎の
「29年後の終戦記念日」である。 彼にとっての終戦日は、昭和20年8月15日
でなく、その29年後であった。その間に死亡した二人と共に、ジャングルの中で
命令に従い戦い続けたのである。終戦直後から「降伏命令」のビラがまかれて
いたが、彼等は信用しなかった。そして29年後に彼を捜しに来た冒険家の鈴木
と遭遇した時も、フィリッピンの掃討兵と思い殺害しようと接近したが、思い
とどまり話をしているうちに、「命令解除の命令書を持ってくれば投降すると」
と、ボールを投げた。それを持ち帰った元上官がやってきて残留命令と任務解除
と投降命令を受けた。その瞬間「なぁんだ」と思ったという。・・投降という
ことは、それは死を覚悟したもの。・・ところがフィリッピン軍のレーダー基地
に着くと、捧げ銃の敬礼で迎えられた。捕虜にそんな礼を尽すわけがありません。
さらに面会したランクード司令官も、投降の意味で差し出した軍刀の受け取りを
拒否しました。そして翌日、マラカニアン宮殿で会見したマルコス大統領がこう
話したのです。「我われは、それぞれの目的で戦った。しかし戦はもう終わった。
私はこの国の大統領として、あなたの過去の行為すべてを赦します」
もう疑う余地はありません。昭和49年3月11日のその瞬間に私の身柄と生命は
保証され、「私の戦争」は終わりました。帰国のためにマニラ空港を出発する
私に、フィリッピン空軍の軍楽隊が日比両国の国歌と「ハッピーバースデー」
を吹奏してくれました。死を覚悟した戦闘の日々から解放されたのだと、
心から生きる喜びを噛みしめました。
▼ この人の人生最良の日は、まさに昭和49年3月11日であった。これほどの
最良に日は、過酷の日々が兵隊生活の三十数年があればこそである。こういう
体験記を読むと、迂闊に「わが人生最良の瞬間」など言ったり書いたりは出来ない
と思い知る。彼の一言一言が、過酷な経験の裏づけをもって光り輝いてくる。
そういえば、人生最良の瞬間より、人生最悪の瞬間が心に残るのは如何いうこと
なのだろうか?「良いことが多くあったが、嫌なことも多くあったな?!」と、
「嫌なことも多くあったが (字数の関係でカット2,011年04月18日)
04月18日(土)
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