ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5115,吉本隆明の「幸福論」
るので、一概に輸出立国を否定はできないが・・。
世界はグローバル化している中で、企業も国際化しないと生存できない時代。
アメリカのサブプライム問題で、日本の産業をリードしてきた輸出産業の崩壊
は、国の存亡の危機。特に今年が最重要の年である。 現在の日本の政治は、
それに対応しているのだろうか?と考えると暗澹とした気持ちになってしまう。 
非常事態には、非常体勢が必要なのに、何をしているのだろうか?
・・・・・・・・・
2539, 閑話小題  2008年03月17日(月)
 *三月の風景
三月は何ともいえない雰囲気で好きである。節目の時だからだろう。
「誰々が、どこそこの大学に合格した、入社した」とか、駅には卒業式の羽織袴
の姿と、小・中・高校を卒業した少年少女のエネルギーが街に溢れかえる。
近くの散歩コースの土手の雪が融け、小さな犬の散歩の姿が見られるようになる。
春の到来ということだ。 企業は退社する人と、入社する人の交差の不安定の
時期になる。野球のオープン戦と開幕戦が始まり、サッカーの開幕、大相撲
春場所が始まり、春の高校野球、そして卒業式の学生の姿が初々しく微笑ましい。
一年の節のの時節ということだ。
 *サブプライムローンと毒入り餃子
(字数の関係で中略ー2012年3月17日)
 *骨美人と水美人
(字数の関係で中略ー2010年3月17日)
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2007年03月17日(土)
 2174, 14歳からの哲学ー 2  オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
今回は池田晶子の真骨頂の部分といってよい「死について」考えてみよう。
以前に「あたりまえことばかり」という著書の中でも、死について述べている。
(いや、彼女のあらゆる著書の中で述べているが・・)最近、「死」について
考えると心地良いのはどういうことだろう。死を考えることは、生を考えること、
人生を考えることだからである。いや歳をとったということか。「あたりまえの
ことばかり」の中の、章 生きているとはどういうことかーの一節から・・
 ー死を知らないくせに、そのくせ知ったつもりでいる。
普通、死は恐い、恐怖、不安であり、いずれは死ぬという前提で人生を送っている。
他人の死ぬのをみて自分に当てはめて類推しているに過ぎない。自分が死ぬという
経験は絶対にありえない。もう一つの勘違いは、死体を見て、それで死を見た
と思う。ここが大事なことですが、死体は死ではないことに気づくと色いろな
ことがわかってくる。死体は物質ですが、死そのものは物質ではない。それでは
「死とは何か」の一般的な答えは、「無になる」ことです。無というものは
無いから無なわけです。無は存在しない。存在しか存在しない。したがって、
「死ぬことは無になること」という言い方によって、言われている無という
ものは無い。すなわち死はない、ということになります。にもかかわらず、
なぜ無い死を在ると思って人は生きていくのか。その視点を手に入れると、
死があると思って生きているこの世の光景が、可笑しく見えてくる。無いものを
在ると思っているのですから。思い込みですね。世の中のすべてが、錯覚の上で
動いている、これは面白い。ですから、死が存在しないと気がつきますと
「人生」という言葉の意味するところがまるっきし変わってくる。やがて死ぬ、
どうせ死ぬとは言えなくなる。なぜなら死は無いのだから、人生の意味は
まるっきし変わってくる。
 「あたりまえのことばかり」よりー
(字数の関係で中略ー2015年3月17日)

03月17日(火)
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