ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5062,貧・病・争と宗教 ー楽しく生きる一日一話 〜②
いるが、河口慧海の場合は個人の意志によるもの。 三蔵とは事情が違う。
明治30年(1897)31歳の時の密入国である。当然に死を覚悟をしなければ
ならない。抜け道の間道を通ってヒマラヤ山脈を逆回りのコース。 僧衣で平均
高度4500mのヒマラヤを走破する。若い娘に結婚を迫られたり、強盗に出会い
ながら山中で野宿。 凍りつくような川を裸で渡ったり、雪中で進退きわまる時や、
右に行くか左かの道を選択しようかという時は、座禅をして知恵を得る。
食事は麦こがしをお湯とバターで練ったものを1日に一食。想像を絶した苦難を
次から次へ乗り越えた末にチベットのラサ府に到達。そこで知遇を得、日本から
持参した薬と医学知識で病人を治し、現地の人たちに経を唱えて糧を得る。
そして大学に入る。その旅で、チベットの生活、習慣、風俗などを細かに観察、
貴重な記録になっている。目的と動機を以下のように書いている。
「私は世の冒険家にならって、探検の功をあげることを目的にしてはいない。
我が国未伝の経典を得たいがために出かけたのだ。したがって探検家の資格は
私にはない。…ただ、今回の旅行では、宗教に関すること以外にも、社会学、
経済学、歴史学、地理学、動植物分布などに関する様々なことを観察すできた」
その観察眼の客観的で冷静な見方に、ただただ驚かされた。≫
▼ 河口慧海「チベット旅行記」:1866年大阪堺生まれの僧侶。
チベットに仏教の原典を求めるために僧籍を離れ、1897年に船でインドに渡り、
ダージリンやムスタンでチベット語の勉強などの周到な準備を整えた末、1900年
にヒマラヤ山脈を越えて西チベットに入る。マナサロワール湖やカイラスを巡礼
した後、 日本人として初めてラサに入り、セラ寺に入門。漢方薬の知識を
生かして人望を集め、ダライ・ラマ13世に謁見するまでになるが、日本人である
ことが露見したために急遽ダージリンに脱出。 その後も中国、インド、
ネパール、チベットを訪れ、在家仏教を起こすなど、日本のチベット学の始祖
として知られる。1945年、「チベット語辞典」の編纂半ばにして没。享年80歳――。
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2008年01月23日(水)
2485,「恐慌」が待ち構える黄昏の米国 −2 オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
(字数制限のためカット 2015年1月23日)
01月23日(金)
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