ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4940,閑話小題 〜昭和33年卒の小学校の同期会
 準備!そこから魔法がはじまる! だが私がそう言うと、若い弁護士は当てが外れたような顔をする。
彼らは労働と呼ばれる退屈なものを迂回できるような、楽な方法を知りたいのだ。
本当の準備は労働などではないと彼らに説明できればいいのだが…。準備とは、創造する喜びだ。 
  (字数制限のためカット 2011年9月23日)
・・・・・・・・・
2007年09月23日(日)
2364, 哲学とは何か、考えてみようか?
          Good☆Morning (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
池田晶子から、再び中島義道に戻るのも良いだろう。脳の筋肉を使わないと独りよがりの理屈の捏ね回しに
なってしまう。色いろな本を手がかりに、自分で脳の筋肉を使うしかない。その手っ取り早いのが哲学。
それも、同じことを同じように、何度も繰り返しながら、一人ブツブツと独り言を呟きながら・・・
私の場合特に、自分の経験を照らし合わせて理解することが多い。何ごとも初めは心と頭を空にして
(空即是色から始めないと)新しいことは出来ない。解ったふりとか、それまでの些細な知識や経験は、
全て邪魔になる。それが創造である。 哲学は何ごとも一度横において、原点を見つめることである。
 「狂人三歩手前」 ー中島義道著
ー夏には哲学がよく似合うー  P-51
メルローーポンティは言う。「真の哲学とは世界を見ることを学びなおすことである」脳髄の中はクルクル
思考が回っている。この「私」とは何者なのか?太陽が眩しい「いま」という時、それは何なのか?太陽から
私の身体までのこの空間とは何なのか?このごろとくに考えること。それは、「見えるもの」は「見えないもの」
に支えられて初めて見えるということだ。他人の心も見えない…膨大な数の「見えないもの」に支えられて、
特定の風景がいま眼前に広がっている。ここにメルローポンティとカントを繋ぐ線があるのではないか。
カントの言う「経験を可能にする条件」とは、「見えるもの」を見えるようにする「見えないもの」なのだ。
フムフムいいそ、いいそ…。哲学者とは夏の海岸でも、こういうことを絶えず考えている変な奴。
メルローポンテイは次のようにも言う。「哲学者とは、目覚めそして話す人間のことである」(『眼と精神』)。
「目覚めている」とは、絶えず周囲世界を見ているということである。そして「話す」とは、それを絶えず
言語化しているということ。この条件さえ満たせば、誰でも哲学者になれる。というより、すでに哲学者。
いや・もう一つの条件を加えておこう。 (以下、字数の関係でカット2013年9月23日)

09月23日(火)
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