ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4904,閑話小題 ーバンコクの奇怪な事件の背景は?
心理学者のフランクルはナチスの死の収容所の生死の淵で、数年後の自分の姿を思い浮かべ辛さを乗り越えた。
「その時に私は、あるトリックにすがりました。1945年のそんな中で想像してみたのです。 私は、講演用の
見台の前に立って、講演をしているんだ。たとえば、『一心理学者の強制収容所体験』というような題で講演して、
大きく、綺麗で、明るい照明の、なによりも暖房の効いたホールで」というように。これも逆説思考である。
金沢で落ち込んでいた時に、夜半に同じような気持ちの切替えの経験があった。いや、ずっとこの連続が人生のよう。
『自分は事業を立ち上げる修行にきている。最悪の状態こそ最良なのに何が苦しいというのか。 この現実を
受け入れること、そして経験を味わうことだ』と。そう考えてから、気持ちが楽になって冷笑していた自分と環境が
違う視点で見ることができた。 人生、還暦を過ぎた今こそ、逆説思考が必要なのだろう。生老病死が現実として
目の前に突きつけられる。今さらジタバタしても遅いが、生老病死のレッスンを面白いと思えるかどうかだが・・・
山田風太郎の世界? 果たして人生の完成などあるのだろうか?あるわけない、迷ったままで充分!これ逆転思考。
 ・・・・・・・・
2692、「誠実であるということ」とは、どういうことか?
 2008年08月18日(月)
私の好きな哲学者の中島義道が『哲学者というならず者がいる』の中のカント哲学「実践理性批判」で、
誠実性について次のように述べている。「誠実性が実現されてない限り、いかに外形的な善が実現されても
厳密な意味で『善』は実現されていない。」 誠実性とは何か?とは「善い行為」を実現するさいに、
僅かでも自己利益が混入してはならないということ。(取引を求めない、という仮言命法、ということか)
 中島はカントが実際言ってないとしても、言いそうなこととして次の4つをあげている。
・自分をわずかでも実際より善く見せようとしないこと。
・自分が不利益を蒙るとわかっていても、それが真実だから「そうだ」と語ること。
・他人が不利益を蒙るとわかっていても、それが真実だから「そうだ」と語ること。
・いかに優位に立っていようと、たとえそれがいかに理由のあるものであろうと、
 いささかも放漫であってはならない。-誠実な人は決して放漫ではない。いささかも誠実を誇ることはない、
ということである。以上のことを実際に実行すると社会は成立しないだろうから、ある程度は不誠実でなければ
生きていけない。 そういえば以前に、誠実であるとは如何いうことか? 考えたことがある。
「誠心誠意、無心に対象にエネルギーを注ぎ込むこと」が、結論であった。
それと、「自分を騙さない。それが人を騙さないことになる。」「約束を守る」ことである。
「あの人は誠実な人」というと、それからどんなイメージが連想されるだろうか?
・自分の言った言葉に対して責任を持てる人。
・自分を信じてくれる人である。
・「良心」を大切にして、人を利用しない人である。(心の綺麗な人) 
 誠実そうな人はいても、誠実な人は、ナカナカいないものだ。「論語の会」にでも入って、
鼻声で斉唱しようか? 私の姉の名前は、正子、恭子、優子、そして礼子。正しく、恭しく、やさしく、礼儀か〜 
誠実そのもなじゃないかい! 父親の名前は誠作だから、潜在意識が、そうさせたのか?それとも、親しくして
もらっていた野本互尊翁から命名して貰ったか?
・・・・・・・・・
2007年08月18日(土)
 2328, 近視矯正手術       'Good☆Morning 。っω-)..。

08月18日(月)
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