ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6884,閑話小題 〜良いとこ一年! 
   * 着ぐるみの「中と、外」
 黒いベール(ヒジャブ)で全身を覆ったイスラム教徒の女性。
異教徒が、あれを全身に覆って街中を歩くと、何か透明人間になったような
不思議な感覚になるという。それが動物の着ぐるみなら、尚のことだろう。
ファッションも一種の着ぐるみ。著者が一年間、外出に、これを着ていた感想が
何とも新鮮! 城下町は、家紋の縫ぐるみを街ぐるみ着ているようなもの。
常に、縫ぐるみの外と内を盗み見て、他人と自分を比べ、神経を尖らせている。 
 〜その辺りから〜
≪ 三十になりたてのころ、外出するとき必ず着ぐるみをかぶっていた。
 着ぐるみには目がくりくりで表情がデフォルメされた「ファンシー」タイプ
と、わりとじっさいの動物に近い「リアル」タイプの2種類がある。
僕が着ていたのはすべて「リアル」のほうである。クマ、犬、ウサギほか。
 テレビ局の衣装部につてがあって、使わなくなった中古を安値で譲り受けた。
真夏以外、Tシャツ一枚の上に玄関で胴体をつけ、両足をはめ、すっぽり頭部を
かぶる。ふつうに地下鉄に乗り、書店で本をえらび、頭部をずらしてストロー
で水筒の水をのむ。外見は動物で、めちゃめちゃ目立っているわけだが、誰も
いない穴蔵にじっとひそみ、覗き穴から外界を盗み見ている、という感覚だった。
 着ぐるみのうちにこもって外を覗いているはずなのに、ときどき、巨大な外部
にハジキだされ、世界の外から内側を覗きこんでいるという感覚にとらわれる
こともあった。交差点を渡っているとき、酔ったサラリーマンに「ウサギちゃん」
と頬を殴られ、路上でネクタイをひっつかんだら、むこうは恐怖そのものの
真っ白な表情で、それこそ脱兎のごとく逃げていった。僕の内側と外側は
「からっぽ」ということで一致していた。だからこその着ぐるみだった。
 翌年に心身のバランスを壊し、実家に戻され、そこで、四才半の「いしい
しんじ」が三十年前に書いた原稿を発見した。その驚きをもとに小説を書いて
いくことになる。物語を書く身ということで考えれば、着ぐるみにこもっていた
一年間、僕は「胎児」だったという見方もできるかもしれない。
 いま住んでいる京都のひとは、「うち」と「そと」の使い方が絶妙である。
内面と外面と違うとう単純なことでなく、「うち」「そと」のあわい、中間領域
を共有しながら京都の暮らしが営まれていく。子どもにはみなが目配りするし、
お地蔵さんの掃除、水まき・おみやげにおすそわけ、すべてこの、流動する中間
領域でやりとりがなされる。路上で自転車をとめ、立ち話しているひとがやたら
目立つ。互い量なりあったあわいで、京都のひとはみな、惜しみなく「うち」と
「そと」の光を交換しあう。胎児だった僕が、マンションの部屋にとじこもる
ことをせず、着ぐるみを着ながら毎日に出ていたのは、やはり「うち」「そと」の
循環を、からだで、こころで、希求していたからだろう。そこから物語ははじまる。
「そと」から見える「うち」、「うち」から見える「そと」の世界。
そのあわいに、目にうつらない、ふくよかな世界がある。 (略)・・ ≫
▼ プロの作家のエッセイは、「成るほど」と唸らせる。子供のころ、両親の
 会話の中で度々、『旅の人』という言葉が印象に残っていた。『旅の人』は、
『よそ者』のことで、自分、家族、一族、従業員、近所、近隣、そして外部の人
=よそ者と、ハッキリ色分けをしていた。 それは現在でも地方では同じである。
そして、紋付袴のコスプレを、コスプレの自覚無しで、その中と、外を覗き込む。
 城下町は、ある意味、紋付袴のコスプレ世界。だから、旅の人の視線でみると、
これが縫いぐるみに見えてくる。その「あわい」が、気の毒か、幸せかは紙一重?
・・・・・・
4693, 閑話小題 ーがん哲学外来 
2014年01月19日(日)
  * がん哲学外来科なるもの 
 病気の死因が95%、自殺が3%、その他が2%という。
その他の2%は交通事故、転倒事故、災害、犯罪の被害など。自殺の3%で、

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01月19日(日)
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