ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6162,閑話小題 〜キツネとハリネズミ −1
 ――                             
 一粒の砂に世界を見/ 一輪の花に天国を見る/ 
 手のひらに無限を/ ひとときに永遠をつかむ
・・・・・・
5065,あわいの力 ーA
2015年01月26日(月)
        ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著)
  * お能の世界とは 
 この本を読んで、長岡高校の講堂で『能』を観た時、その幽玄の世界に
魅入ったことを思い出した。以来、TVで何度か観たことがあったが、知って
いることは、シテと、ワキの存在ぐらい。 ネット辞書によると、
<芸能としての起源は、飛鳥〜奈良時代に遡る。観阿弥・世阿弥・金春禅竹
から現代まで約7百年。江戸幕府の終焉とともに衰退したが、明治中期に、
その状況を憂える文化人や資産家の尽力によって復興へ向かい始めた。
猿楽に代わる「能楽」という用語も広まった。 現在、ユネスコの
「人類の口承および無形遺産の傑作宣言」を受け、2001年「世界無形文化遺産」
として登録されて、少し演能が盛んになり、神社やお寺での薪能なども増えた
ように見受けられる。>とある。登場人物の役割を序文に簡潔に説明してある  
≪・能には、シテとワキという二人の主要な登場人物がいます。
 シテは面をつけ舞台で華やかに舞い、ダイナミックに飛んだり跳ねたりする。
 能といわれて普通の人が思い浮かべるのは、このシテでしょう。
・ワキは、面をつけることもなければ、派手に立ち回ることもない。
 装束も地味で、目立った活躍をすることもありません。
 ほとんどの時間、舞台上でじっと座っている。
・シテを演じる役割の人をシテ方、ワキをの役割の人をワキ方といいます。
 能の世界は、シテ方の人は一生シテを演じ、ワキ方の人生ワキを演じます。
 能楽師の家に生まれた人は、生まれたときから決まりますが、私のように外の
 世界から入ってきた者の場合は、その道が決まるのは、能の世界に入るとき。
 シテの師匠に弟子入りしたら一生シテ方だし、ワキ方の師匠に弟子入りしたら
 一生ワキ方です。ワキ方が、「今日はちょっと面をつけてみたいな」とたまに
 シテ方を演じるようなことはありません。
・私は、高校教師をしていた25才の時、ワキを演じる師匠の姿に魅せられたのが
 きっかけで弟子入りをして、ワキ方になりました。ですが、どうもこの
 「ワキをわざわざ選ぶ」というのは、一般の人たちだけでなく、能の世界に
 いる人たちからもときどき不思議がられます。「なぜワキ方なんか選んだのか」
 などと聞かれたりします。「ワキなんか」か、とは失礼ですが、シテ方には面、
 笛方には笛、鼓方には鼓という「お道具」がある。しかし、ワキ方は何もない
 じゃないか、そう言うのです。・・・ ≫
▼ 小中学校の同級生の一歳年上の兄が能楽のシテで、地元紙に、『続けている
 内に、シテの役割の人か、現実の自分が混同するようになった』と、その幽玄
の世界の魅力を書いていたが、談志の『芝浜』に似ている。最近、若い女優が
インタビューで、一年間、地方で、あるヒロインを撮影した感想を述べていた。
『自分と、演じている役割との間にある皮膜を如何に薄くするか、に苦心した!』
・・・・・
4333, 自己とつきあうということ −3
2013年01月26日(土)
        「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著) 
 * 自己の主題化とは、変化する自分を距離を置いてみる自分を見つめること!
≪ われわれは万年筆や鉛筆といった事物と異なり、不断に生成し続ける存在
 であり、同時にその途上にあって、しばしば自己へのかかわりを課せられる
ような存在である。われわれは、事物や植物や多くの動物のように自己の存在を
意識することなく生きることはできず、自己や自己の生にかかわりをもちつつ
存在することを余儀なくさせられるのである。年齢的な変化とそれに伴う生成の
途上で、自己に関連することで言えば、自分がどのように変化しているのかを
問うこと、自分がどのような位置にいるのかを確認すること、自分がどのような

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01月26日(金)
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