ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6052,「老人の壁」 〜読書日記 −3
* 多人数兄姉の末っ子として
家族と、その兄弟の立ち位置で、その性格を大きく左右するようだ。
母一人子一人なら、非常に強いマザコンに、多人数の一番上の長女なら親分肌
になり、とかある。私は八人兄姉の末子としての 立ち位置に生まれ育った。
下から二番目の直ぐ上の兄は、一番下の私の影になり、その虐めは陰湿。
しかし他の兄姉からは比較的愛されたようだ。しかし、常に多くの視線の中で
緊張を強いられていた。一つ間違えると苛められるからだ。それもあり常に
知らないふりをしながら、その場の状況を読み、必要のないことは見ないふり、
陰口などもっての外。10歳位までの私の武器は、大声で泣くこと。
大家族のためか、自分の主張や欲を少しでも見せてはならない原則があった。
大家族の特徴は誰に対しても心が開けない、群れの中の孤独がある。
両親の職業、教養、兄弟の自分の立ち位置と、時代背景などが、自分を
カタチつくっている。振り返ってみて、生まれ育った国と、時代と、
家庭に恵まれていたと、つくづく実感する。それ以上に面白かった。
これから、そのツケが帰ってくるか、こないか。
・・・・・・・
3848, 料理はメディア
2011年10月08日(土)
≪「知的な大人へのヒント」林望 著 より≫
* 料理はメディア、コミュニケーションのツール
【 食べるときは考えながら食べる。どうしておいしいんだろう、また、
こんなにまずいのはどういうわけだろうとかね。それはしかし、自分の中で
考えておけばいいわけで得意がってベラベラ言う必要はない。大切なことは
「よく味わう」こと。それがおいしかったら「うまいなあ、実にうまいなあ」
と言って、おいしそうな表情をして、食べる。この「食べる表現」という
ことが肝要です。 料理はメディアです。コミュニケーションのツールです。
本来は、主である自分がつくって客たる相手をもてなすというのが食べ物を
メディアとする、コミ二ケーションンのあり方です。昔は、人を招いてご馳走
することを「主(あるじ)もうけ」とも言いました。この言葉はそういう機微
ですね。つまり、主人がつくって客をもてなす、で、実際にそういう場合も
多くある。 そのほかに料理屋に行くという形の「主もうけ」もありますね。
それは、ほんとは自分でつくってもてなしたいけれど、その技術を持って
いないとか、自分よりずっと上手な人がいるというので、その板前さんに委嘱
して、自分のかわりに料理してもらっているわけです。 それが、料理屋で
もてなすという本来の意味です。つまり、なぜ、この店に招いたかというと、
ここの料理が美味しいので、これをぜひ食べて欲しいのに、全然料理の味
なんかそっちのけで、つまらないゴルフの話ばかりしていられたら、
主がわも、またその代理としての板前さんも、がっかりしてしまうでしょう。
そういうことを考えてもわかるように、料理というのは、コミュニケーション
のための手段、つまりメディアなんです。プロの料理人は料理に命を賭けて
いる人たちですから、いい板前さんは一生懸命考えて、大変な努力をして、
板長になっていく。そういう人が、多くの知恵を結集して、額に汗して
出してきたものを、知らん顔して食べていては、それは仁義にもとる。
薀蓄など語る必要はないのです。「美味しいな〜」だけでいいんです。】
▼ ファミレス、イタメシなどは、その店の個性があり、それに惹かれて
客は店に行く。その個性が店のメッセージになる。美味しいものを食べつく
してきたので、それほど美味しいものを食べたい欲求は少ない。それより、
店の醸し出す雰囲気が好きで、それを求めていく。それ自体、既にコミュニケ
が始っている。 隣の席で、私が注文した料理の薀蓄を自分の部下の女性に
得々と話している人がいたが、これほど不愉快なことはなかった。
家内も私も、美味しい料理の場合は、小さな声で、美味い美味いと自然に言う。
それが、更に美味しくなることを知っているからだ。チョットした店構え
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10月08日(日)
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