ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383837hit]
■5943,閑話小題 〜美しさとは何ですか
リーマンショック以降、現在も静かに大恐慌は続いていると何度も
述べているが、マスコミはテーマにしない。タブーかどうか分からないが?
地方もあってか周囲の状況は惨憺たるもの。私の年代がリタイアの時節もあるが、
私を含めて過半数以上が直撃を受けている。ただ、あまり表立って話題にしない
というより、明日は我身で黙るしかない。 その現状そのままを、ズバリ書いて
ある本があった。100年近く前の恐慌と二つの世界大戦を、現在の状況と重ね
合わせ、世界も日本も、静かだが既に世界恐慌に入っていると分析している。
ー まずは、プロローグより ー
《 世界は「静かなる大恐慌」に突入した。危機的なのは経済だけではない。
国際政治は一九二九年の世界大恐慌をはさんだ、ふたつの世界大戦の時代と
同じコースを歩み始めた。グローバル化が必然的に招く、社会の不安定化と経済
の脆弱化。それによって国内でも世代間、産業間、都市対地方などの対立が
激化している。この不安定性に耐えうるシステムは、通説とは逆に「大きな政府」
の復活しかない。この歴史の趨勢に我々は逆らうことができないのだ。
グローバル化の行きづまり、そして「脱グローバル化」への急反転という
ショックを日本はいかに生き抜くかを問うている。》
ーその幾つかを抜粋してみたー
☆ 20世紀を代表する歴史学者、フェルナン・ブローデルは「資本主義は、
それが国家と一体化するとき、それが国家であるときにのみ、栄えると
(『歴史入門』)で述べた。この含意するところは大きい。資本主義という
システムは、一見、アナーキーなものに見えるが、実は「国家」なしでは
機能し得ない。それを「国家資本主義」という言葉で言い表せば、「自由資本
主義とはいえ、一皮剥けば国家資本主義的な側面をかなりもっている」(p.95)
☆ 100年前も現代と同じくらいグローバル化(金融は除く)が進んでいた。
資本主義は人々の欲望の塊が原動力。それを野放しにすれば必ず反動という
自然の調整で大恐慌が生まれる。それが、1929年の大恐慌と、2回の大戦争。
現在の世界経済を1920年代の大恐慌になぞらえ、その類似性を説明していく。
20世紀初頭の第一次グローバル化と、その結果とも言える二度の大戦と大恐慌。
そして、並行して進む脱グローバル化への揺り戻し。今は、その後1970年代の
ブレトンウッズ体制の崩壊から続く第二次グローバル化の中にあると説く。
☆ グローバル化と民主主義と国家主権の3つは全部が成立することは不可能で、
このうちどれか2つしか同時に成立しない。グローバル化と民主主義が成立
すれば、EUのように国家が抑えられ、グローバル化と国家主権が強くなれば、
日米のように国内の貧富の格差が大きくなる。日本は、グローバル化を抑えた
国家主権と民主化を重点とした政策が必要。
▼ グローバル化が100年前もあって、その反動で恐慌が起こっていた。
そして、現在も、酷似しているという。現在のネットが、当時としては電話の
普及に当たるとする。現在は、20ヶ国が一同に介して、恐慌が表立つのを抑えて
いるが、現実は既に恐慌が静かに進んでいるというのは正しい。特に日本は、その
先頭に立っている。著者は、日本にとって、3つの内、国家主義と民主主義に
重点を置くべきというが、国家主義とグローバル化しか選択の余地はないのでは
と考えざるを得ない。アメリカの属国しか生きれない体質になっているからだ。
恐慌は、それほど生易しくはない。10年後もしないうちに、東北大震災が
消し飛ぶほどの何か、例えれば、1923年の関東大震災に対する世界恐慌と
太平洋戦争のような。 −つづく
06月23日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る