ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5911,『しあわせ仮説』 −9 ネガティビティ・バイアス
人生には発見されるべき価値や意味がある
(1)意志への自由 (いかなる境遇でも自由意志を持つことができる)
(2)意味への意志 (意味と目的を発見し充足するのは人間の努力である)
(3)人生の意味 (創造・体験・態度生きる姿勢の中に意味を見出す)
ー生きることは価値判断(学習)と選択の連続である
ー私が読んだ本は以下であるー
・「夜と霧」:ドイツ強制収容所の体験記録
V・E・フランクル 霜山徳爾(訳) みすず書房 1985年
・「それでも人生にイエスと言う」 V・E・フランクル 山田邦男・松田美佳(訳)
春秋社 1993年
・「宿命を超えて、自己を超えて」
V・E・フランクル山田邦男・松田美佳(訳)
春秋社 1997年
・「<生きる意味>を求めて 」
V・E・フランクル 諸富祥彦(監訳)
上嶋洋一・松岡世利子(訳)
春秋社 1999年
・「フランクル回想録:20世紀を生きて」
V・E・フランクル 山田邦男(訳)
春秋社 1998年
・「フランクルに学ぶ 」
斉藤啓一 日本教文社 2000年
・「どんな時も、人生に‘YES’と言う
諸富祥彦
大和出版
・・・・・・
2003/09/20
《V・E・フランクル》について
十数年前にフランクルの「夜と霧」を読んで感銘した。
そして数年前、春秋社の以下の彼のシリーズをむさぼり読んだ。
人生丁度まがり角であったためであろう。
その意味の深さー絶対的人生の肯定に魂を揺さぶられた思いであった。
彼の「意味」発見のための3つの問い
「私は、この人生で,今何をすることを求められているか」
「私のことをほんとうに必要としている人は誰か。
その人は、どこにいるのか」
「どの誰かや何かのために、私のできることには、何があるか」
この3つを常に念頭において生きることが,『なすべきこと』
『満たすべき意味』を発見するための手がかりになると、
フランク心理学では考えている。
ーー
『夜と霧』(みすず書房、1971年新版)
収容所での体験を描写することによって語っているのは
「人は変えようのない運命に直面したときでも、それに対して取る゛態度゛
というのは自ら選ぶことができる」という真実です。精神的自由、すなわち
環境への自我の自由な態度は、この一見絶対的な強制状態の下においても、
外的にも内的にも存しつづけたということを示す英雄的な実例は少なくない
のである。強制収容所を体験した人は誰でも、バラックの中をこちらでは
優しい言葉、あちらでは最後のパンの一斤を与えて通って行く人間の姿を
知っているのである。そしてたとえそれが少数の人数であったにせよ
――彼等は、人が強制収容所の人間から一切を取り得るかもしれないが、
しかしたった一つのもの、すなわち与えられた事態にある態度をとる人間の
最後の自由、をとることはできないということの証明力をもっているの。
「あれこれの態度をとることができる」ということは存するのであり、
収容所内の毎日毎時がこの内的な決断を行う数千の機会を与えたのであった。
その内的決断とは、人間からその最も固有なもの――内的自由――を奪い、
自由と尊厳を放棄させて外的条件の単なる玩弄物とし、「典型的な」収容所
囚人に鋳直そうとする環境の力に陥るか陥らないか、という決断なのである。」
生きていれば、誰しも避けがたい苦悩に直面するわけですが、そういった
ときに、「どのような゛態度゛を取るのか」というコトが問題となってくる
のだと思います。変えられない運命に絶望しニヒリズムに陥ることや、責任を
転嫁して他者を恨むこと、現実逃避のために自暴自棄になることは簡単
だけれども、フランクルは、そういった態度は人間としての自由と尊厳を
放棄した態度だと言っているのだと思います。
「〜生命そのものが一つの意味をもっているなら、苦悩もまた一つの意味を
もっているに違いない。苦悩が生命に何らかの形で属しているならば、また運命
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05月22日(月)
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