ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[382721hit]
■5878,閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー4
だろうか。足元に血が垂れている。それを見たとたんにハッとする。ちょっと
した赤い液体なのに、何か異様にハッとする。見てはいけないような、
一歩踏み込んだ秘密を見てしまったような、緊張感が走る。」
*「人間の血はだいたいみんなと同じで、成分にほとんど違いはないが、
自分の血は自分のもので、自分の体内に密閉されている。でも場合によっては
人助けで献血をする。場合によっては寄付したり、プレゼントしたり、投資で
失くしたりする。」
*「お金も血も、命にかかわるエネルギーの源である。流体である。
生臭いものである。でも、輝いている。いきなり見せられるとドキリとする。
プライベートでありながら、共有のものでもあるところが不思議な関係。」
▼ 財布を拳銃に、そして刀に喩える切り口がよい。撃たれ、切られたとき、
血が吹き出る。それからみて金はエネルギーと同じ。一万は一万の、一千万は
一千万、一億は一億のエネルギーがある。無駄を廃し、使うべきときは使う、
それが金の効用。
・・・・・・
4042, 世界の旅行記101 ー3
2012年04月19日(木)
* 旅行記は、旅人により再構築された言説
≪ 旅行という行為や、そこでえられた環境や状況についての情報は、言説
として再構成されている。おもいもかけない発見や探索、あるいはそれに
出会った旅人の心象や思考は、旅行記という形態に定着させられるときに、
一定の文スタイルやデザインを採用する。 文章のかたちをとるという点から
みれば、「文体」といいかえてもよい。見聞され体験された隔遠の地における
非日常の事実は、旅人の言語に変換され、日常の世界に発話される。著者と
読者とが共有する表現と読解のルールにもとづいて旅行記は書きおろされる
「言説」といったのはそうした意味においてである。 旅行記は、旅の事件記録
性を検証するよりもまえに、言説そのものの解読作業がほどこされねばならない。
旅程のすべてを記載できるわけではない。見聞された事象すべてが、偏りなく
叙述説うるわけでもない。しかも、だれにとってもひとしく共有される述法の
ルールにしたがって。 そうではなくて、旅行記は、旅人が旅先について投射
した特定の視線が、対象のうちに読みとった文脈にかんする言説である。
使用される語彙もシンタックスも、そしていますこしふみこんでいうならば
価値感覚も、言説として独自の完結を実現している。別のいいかたをすれば、
中世ヨーロッパ人と近代アメリカ人、古代中国人と現代日本人は、それぞれに
採用する言説の方式はことなっている。いや、著作者の身分、出自、性別、教養
のちがいによって、同一物にいての言説は別個のものになりうる。 ≫
▼ 旅先の情報を言説として再構築したのを旅行記とすると、書き手の特定の
視点こそ注目すべきである。それが旅行記の特性であり、面白さになる。
だから、この101の旅行記は、101人の特異体験を記した事件簿として垣間
見ると分かりやすい。それぞれのクロス・エンカウンター(因縁)が現れ出る
から面白い。人生の記録も、それぞれの特異点の旅行記に酷似している。
・・・・・・・
3676, 自己を見つめる −3
2011年04月19日(火)
「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
「時間」は簡単のようで、難しい。心の中は、時空をこえた多くの思いで
満ちている。特に多くを経験した熟年期に差し掛かると、思いは過去に向かう。
そこには現在の知覚と直感で彩られた抽象画としてたち現れてくる。
豊かな経験なら豊かに、逆なら逆として! 生きてきたとおり、人生は自分に、
その姿を突きつけてくる。 ー 第二章 時間 ーより
【(p45) 私たちの心は、アウグスティヌスが言ったように、たえず
なんらかの出来事を記憶し、知覚し、期待するという働きを、本質的に
具有している。記憶は、過去の出来事に関わり、知覚は、現在の出来事に関係し、
期待は将来の出来事に向けられ、しかも、それら三つが別々にあるのではなく、
[5]続きを読む
04月19日(水)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る